余暇の過ごし方 02

 目の前には大きな屋敷が構えていた。三角の屋根はアウストラリスでは見かけないものだ。アウストラリスでは皆屋根が平らだから。そういえば、ジョイア宮の外宮もこんな斜めの屋根をしていたかもしれない。ただ、あちらは土壁を利用した木造の建物だったけれど、こちらは赤煉瓦を積み上げて出来ている。石壁はどちらかというと西国に多いため、この辺りの建築物とはずいぶんと印象が違う。特別な施設なのだろうとすぐに見当がつく。
 もともとジョイアは他文化が多く流入している。建物、食文化、衣服まで。それは、アウストラリス、ティフォン、さらに南のリブラまで。諸外国の輸出品が湖を渡ってまずオルバースにたどり着くことが大きく起因しているはずだ。それぞれの文化を柔らかく受け止めて、融合させて――今のジョイアの文化がある。民の中のおおらかな気質が国を大きくしているのかもしれないと、観察しながらメイサは問う。
「ここは?」
「今日の逗留先になる。ジョイア皇家の別邸だ」
「逗留先? 今夜は宮に帰らないの?」
「シリウスに追い出されたんだ。スピカと子供達をお前が独占しているから」
 ルティはその名を告げるときはやはり少々腹立たしげだ。
「皇子様が?」
「夜くらい一緒に過ごしたい、寂しい」
 彼らしくもない言葉にメイサは一瞬ぽかんとした。ルティはバカバカしいとでも言いたげな顔でさらりと続けた。
「――って、シリウスあいつがだだを捏ねた」 
「あ、ああ。皇子様がね。それは申し訳なかったわ……」
 急に胸が脈打ちだし、メイサは自分に言われたのかと勘違いした事を恥じた。ルティの涼しい表情がメイサの羞恥心を煽る。思い上がりに気付かれる前に話題を変えたい、そう願ってメイサは早口で言った。
「相変わらず仲がいいのね、うらやましいくらい。スピカは幸せ者だわ」
「…………うらやましい?」
 ルティは続けて何か口にしようとしたようだったけれど、結局は口を閉ざした。
「とにかく、今日はここを拠点に下町を回る。ここがジョイアの庶民文化の中心だからな。――じゃあ着替えるぞ」
「え、じゃあ、この服は?」
 メイサは驚いて自らを見下ろした。さっき着たばかりなのに、結局はルティにしか見せていない。なんだかもったいない。
「その服で視察なんか出来ないだろう。動きにくい」
「っていっても視察なんか初めてだから、勝手が分からないわよ」
「用意させてるから、それを着れば良いだけだ」
 ルティはそう言いながらメイサを屋敷に連れ込んだ。

 ルティが用意してくれた服はジョイア風の服だった。上は縦にも横にもゆとりのある詰め襟の麻の白シャツで、下は足首までの赤いスカート。腰をきつく縛らずに着るので体の線は緩やかな服の線で隠れてしまう。それでも全体に美しい花の刺繍が入っていて、若々しい雰囲気が出ている。下町の娘さんというところだろうか。似合ってるかもと、メイサはルティの見立てに感心する。とりあえずはこれで体に付いた痣は隠れるのでほっとした。
 最後に目立つ赤い髪を花柄の布に包み、その上から顔が半分隠れるほどに帽子を深くかぶるとメイサの支度は終わった。服だけなら可愛らしかったのに、帽子が野暮ったくて全部台無しな気がした。だけど目立ってはいけないというのは分かるのでぐっと我慢する。
 着替えが終わって部屋から出ると、先に準備を終えたルティが廊下の椅子に腰掛けていた。彼はどこから拝借したのかジョイア兵の制服を着ているようだ。近衛隊とは違って枯れ草色の地味な服装だった。
「上出来だ」
 メイサを見て彼は満足そうに微笑んだ。
「行くか」

 雑然とした街並を肩を並べて歩く。たいていの人間がルティに注目するので、地味に装ったメイサはずいぶん気が楽だった。最初はそう思っていた。
 しかし、熱がこもった視線も時折感じて、その視線の方を向くと予想通りに若い娘がいた。彼女たちはメイサなど目に入らない様子で、気軽に声をかけてくる。ルティはもっと地味に装っても良いのではないかと心配になるくらいだった。
 だけど、背の高い彼はいくら庶民のように地味にしようともどうしても目立つ。兵服という装いはそれほど目立たず、悪漢に絡まれたりしない程度には牽制が効く。うら若い乙女を引きつけはするけれども、一番効果的なのだとメイサは自分を納得させる。
 しかし五人目の娘が声をかけた頃にはメイサもさすがに悲しくなった。ルティは「連れが居るから」とあっさり断るのだけれど、娘達は地味なメイサを見ては挑発的な目で睨んでくる。皆が皆同じだ。ルティの隣にふさわしくない女に敵意がむき出しだった。
 もう少し着飾ればこんな身の置き所のない想いをしなくても良いのに。先ほどのドレスを着て化粧をすれば、少しはましなのだと自分でも分かっているから余計にだった。
 それでもせっかく連れ出してもらったのだから楽しもうと、メイサは視察がてらに露天を物色することにした。

 整備された大通りの脇には天幕の張られた店舗が並ぶ。果物や肉、魚などの食べ物が並ぶ区画を通り過ぎると、服飾や宝飾品もちらほらと置いてあるのが目立ち始めた。物珍しくて商品をじっと見つめていると、目を引くものがあった。赤い石で出来たネックレスと緑の石で出来たネックレス。職人が同じなのかもしれない。それぞれ花の形が彫られた石が所々に付いていて揃いで作ったものに見えた。赤は一度で気に入ったし、緑はスピカによく似合いそうだった。ただ、さすがに値段はそれなりにした。メイサが持ってきた路銀を叩いてようやく買えるくらい。ガラスのない国だ。普通に素材は宝石を使っているのだろう。
「これ素敵。今着てる服によく合いそうよね。それに、こっちはスピカに――」
 純粋な感想を口にしながら、振り返ったメイサは顔色を変えた。ルティが六人目の女に声をかけられていたところだったのだ。例の断りを入れたところで、女がメイサを睨んで去っていく。
「どうした? 顔色が悪い」
 ルティは、ようやくメイサの曇り顔に気がついた。ネックレスを指差していた手をそっと収めて、メイサは口を開く。
「……私、帰りたい。先に戻ってていいかしら?」
 視察の邪魔をするわけにはいかないから、一緒に戻ってほしいとも言えなかった。メイサが居なかったら、ルティはもっと声をかけられるかもしれないとも思ったけれど、あの視線を受け続けるのがもうきつかった。
「楽しめないか? せっかくの外出なのに――お前、外に出たいって言ってただろ」
「ちょっと……疲れちゃって。ごめんなさい」
 なんだか泣きたい気分だったけれど、そうしてしまうのは子供っぽくて嫌だった。
「何が気に入らない?」
 ルティが途方に暮れた顔をする。それは、昔彼が母親に拒絶されたときの顔に似ていて、メイサは慌てた。
「気に入らないことなんて、何もないわ。ただ、ちょっと疲れただけ」
 メイサはもう一度繰り返した。ルティに非はないのだ。全部彼に釣り合わない地味な自分が悪いだけだった。
 雑踏の中、二人の間にわずかな隙間が出来る。埃の混じった風が帽子の隅からはみ出したルティの髪をなびかせる。
「あ。一人で帰れるから。道覚えているし。視察、頑張って」
「は? おい――馬鹿! 俺から離れるな!」
 彼の命令を無視して身を翻し、一気に全速力で駆け出した。ルティが足が速いのは知っていたから、メイサはとにかく人ごみにまぎれるようにと人の多い方へと走った。帽子が風で飛ぶ。けれど気にしていられない。
 人の波の中をしばらく後ろも見ずに走った。そして、確か、別邸は北の方だった……と方向を変えた直後、目の前に居た男にぶつかった。
「あ、ごめんなさい!」
 思わず謝るメイサに、男は呆然とした顔で訳の分からない提案をした。
「あの――お茶でもご一緒にいかがですか」
「はぁ?」
「お前! 俺が先に声かけようと思ってたのに!」
 メイサは目を丸くする。急激にわらわらと男に取り囲まれて、メイサは体を固くした。
(わ、わ、――何? この人たち!)
「僕とお茶しましょう」
「いえ、俺と」
「儂も!」
「じじいは引っ込んでろ!」
「うるさい、若いもんには負けんぞ!」
 若者だけかと思ったら年寄りも混じっているらしい。メイサの視界でいろんな顔がぐるぐると回りはじめる。訳が分からずにメイサはその場にしゃがみ込もうとした。
「――なにやってる」
 人垣の頭一つ上から声が降り、メイサは顔を上げた。そこにはメイサがこの世で一番好きな顔がある。
「こいつは俺の連れだ」
 殺気の籠った声にわずかに人垣が割れた。
「おい、後から割り込むなよ!」
 周囲から上がる男達の不満の声の中、メイサは彼に二の腕をつかまれて強引に引き寄せられる。そして、ほっとして礼を言おうとした直後、唇を塞がれた。
「ん――、んん!!??」
(ちょっと、舌! 普通に舌入ってるんですけど!)
 いや、それ以前にこんな往来でキスなんてあり得ないのに。人垣など気にしない情熱的なキスに目が回る。腰がくだけたメイサがよろけると、彼は口づけを止める代わりにメイサを抱き上げた。
 目を開けるとルティが真剣な顔でメイサを見つめている。
 いつしか周りが静まり返っている。何が起こったのだろうと周りを見ようとすると、彼は彼女のあごを押さえつけて叱った。
「周りは気にするな。俺だけを見てろ。お前は俺のものだろう」
「でも」
「言っても分からないなら、体に分からせる」
「わ、分かったわよ」
 ここに来て、ルティがかなり怒っているのが伝わった。慌ててメイサは頷いた。
 ちらりと見ると人垣はまだあった。ただ、ルティが視線をやるたびに、彼らが後ろに下がる。大きな円陣の中に取り囲まれている状態だった。
(あぁ、どうしよう。変な風に目立っちゃった……)
 ルティは忌々しげに周囲を見回すと、ため息をつく。さすがにこれ以上ここに居るのは無理だと悟ったのだろう。
 何か観念した様子で、言葉を吐き捨てた。

「仕方ない――帰るぞ」

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2011.08.20