密やかな決意(4)

 王太子妃のメイサに与えられた部屋は、ルティの部屋のすぐ下の部屋だった。南向きに大きな窓が開けられて、美しい色硝子がはめ込まれている。中央の広場を見下ろせる、明るい部屋だった。広場では衛兵や女官たちが塔から塔へとひっきりなしに移動している。
「いくらメイサ様のお言い付けだとしても、承服しかねます。第一殿下が私など相手にされるわけが無いではありませんか」
 何度目の説得だろうか。メイサの前ではルイザが困惑した顔をしていた。
「でも、ルティはきっとそれを含めてあなたを王都に呼び戻したに決まってるわ。私にはわかるの。だって、二年の任務中、彼はいつも自らムフリッドへ視察に赴いたのに。あなたたちを呼び寄せるのは今回が初めてでしょう?」
「それは誤解でございます。今回王都に参ったのは報告もありますが、全く別件なのでございます」
「別件って?」
「それは、殿下からお聞きされた方がよろしいかと。とにかく、殿下のお子を産むなど、私では――それどころか、メイサ様以外の誰にも、そのような大役は務まりませんわ」
「あなたなら、引き受けてくれると思ったのに。ルティが嫌い?」
「殿下は相変わらずとても魅力的でございます」
「じゃあ、嫌ではないのよね?」
 念を押すメイサにルイザは「殿下のお相手を拒むような女性はこの国にはいないでしょうね」と苦笑いを浮かべる。
 確かに、ルティを拒んだ女をメイサは今のところ一人しか知らなかった。彼の熱烈な求婚を受けても決して揺らがずに一人の男を愛し続けた少女――いや、もう少女とは呼べないだろう。いつの間にか二十歳になったメイサの義妹だ。
 一年ほど前にジョイアを訪ねたときの事を思い出す。愛らしい赤髪の皇子と黒髪の姫二人に囲まれた幸せそうな夫妻を思い浮かべ、羨望のため息をつくメイサに、ルイザはきまり悪そうに告白する。
「正直に申せば、心が揺れました。今も昔も憧れの方ですもの。――ですが、やはりメイサ様のためにはなりませんし、それに」
 ならば、まったく脈がないわけではない――とほっと息をつくメイサの耳に、『殿下ぁ! 待って下さいよー』という懐かしい少々間の抜けた声が響いた。声に釣られてメイサとルイザは窓の外を見下ろす。
 視線の先では纏わりつく近従をルティが鬱陶しげに追い払っている。陽光を受けた髪が宝玉のように輝き、太陽がそこにいるようにメイサには思えた。
「二年もあれば、人の心は移ろいますわ」
 夫にぼうっと見とれていたメイサは、ルイザの緩んだ口元や密やかに囁かれたその言葉に気付く事はできなかった。


 数日後のある晩の事だった。
 ここ数日メイサは作戦を実行に移していたが、ルティは部屋にルイザを送りつけても送り返したり、ルイザを放って一人でメイサの部屋に来てしまう。失敗続きで業を煮やしたメイサは、自室にルイザを呼びつけたあと、自分は女官部屋に隠れて一人息を詰めていた。
 昔彼女が使っていた部屋は、その後新しい娘が入る事が無い。というのも王子の傍付きになる女官が大幅に減ったためだ。女たちが主に仕えていたのは好色なアステリオンだったというのもあるが、王太子であるルティが、王子一人当たりの年間予算を大幅に減らしてしまったのが影響したらしい。女官をほとんど雇わない彼が基準となっているため、人員削減に直結したのだ。そうして余った予算や人員は治安の改善を始め、都市間の交通網の整備、地方都市の開発、学校の増設や、研究機関の創立など、今まで余裕が無くて手が回らなかったところに使われている。少しずつではあるが、確実にアウストラリスは良くなっている。実感する度に、メイサは誇らしさで胸がいっぱいになった。
「だから――あとは、世継ぎの子が必要なの。あなたの理想と才能を受け継ぐ子が」
 この国が更なる豊かさを手に入れるためにはこれから何十年とかかる。ルティの代だけでは足りない。だからこそ、メイサは焦るのだ。
 粗末な寝台に横になると昔の事が思い出された。あの頃は、ルティに役立たずと言われ続けて、むきになって無茶をしていた。
 今、彼はメイサの事を馬鹿とは言うが、役立たずなどと決して言わない。本当の事というのは口に出し難いのだ。
(わたしって、相変わらず彼の役に立ててないのよね)
 彼の力になりたい。願い続けるのに、どうしても叶わない。何一つ力になれたためしがない。王子を産むというただ一つの役割さえこなせないのならば、彼女が出来るのはこうして己の嫉妬心と戦う事くらいだった。それしか出来ないのだから、いくら辛くても乗り越えなければならない。
(きっと今頃、ルティはルイザを……)
 想像してメイサが涙ぐんだそのときだった。
「――いい歳してかくれんぼでもするつもりか?」
 開け放たれた扉の向こうに燭台を手にしたルティが居た。
 赤い髪は乱れ、息は上がっている。メイサの企み通りに情事の途中だったのだろうか、服も傍にあった物を引っ掛けて来ただけというのがありありとわかった。
「ど、どうして」
 メイサは彼がいつも飲む酒に媚薬を盛って、部屋にルイザを忍ばせたのだ。燭台の火は落としておいたし、元々ルイザの髪は赤みが強い。人違いに気が付いても、薬は理性をとばすほどに強力なものを使った。
 作戦は完璧だと思っていたのに。
「お前以外は要らないと何度言えばわかる? ババアみたいな真似までして……これだからシトゥラの女は――」
 質問に答えずにルティは言う。声には凶暴な怒りが含まれていて、メイサは思わず後ずさった。
「でも、あなたの子供はこの国に必要なの」
 彼を落ち着かせようと諭すように言うが、彼は眼光をさらに鋭く尖らせた。
「お前は、俺が他の女と寝ても平気なのか」
 平気なわけがない、本音を押し殺してメイサは訴える。
「我慢できる――我慢してみせるわ」
 メイサが言うと、ルティは傷を受けたかのように低く呻いた。
「馬鹿だと思ってたが、ここまでと思わなかった」
 ルティはメイサを強引に寝台に押し倒し、上から覆い被さる。粗末な木の寝台は痛々しくぎぃいと軋む。メイサは逃れようとうつ伏せになるが、ルティは彼女の腰を掴んで逃亡を許さなかった。
「――やめて!」
「子が欲しいんだろ? なら望み通りにしてやる」
「わたしとじゃ、意味がないの!」
意味がない・・・・・だと? お前は、今までずっとそれだけのために……義務だと思って俺と寝てたのか? ――ふざけるな」
 びりりと服が破れる音がした。肌を晒されると同時に無理矢理に押し入られてメイサは呻く。こんな風に一方的にされた事は今までに一度も無くて、ひどく混乱した。尋常じゃない怒りに心と体が押しつぶされる。顔を見たいのに、押さえ付けられて出来なかった。メイサはただ、枕に涙と悲鳴を飲み込ませた。

 細い月が西の空に沈んでいく。メイサは薄く明けた目でそれを追いながら、力なく寝台に突っ伏していた。
 ルティは身支度を整えると、嗚咽の止まらないメイサに向かって「俺がルイザと寝れば満足か?」と言い捨ててさっさと部屋を出て行った。彼の全身が怒りを訴えていたが、どう取りなせば機嫌を直してくれるかメイサにはわからなかった。

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2013.05.07
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