「お役目って……ルイザ、あなた何を命じられてたの」
「留守番ですわ」
「大体ルティはどこから出て行っていたの? 部屋の前は通らなかったわ」
「中庭の木です。ヨルゴス殿下にお願いして通られていたのです」
「そこまでしてあの人、私を避けたかったのね」
「なにしろ、殿下が一番怖いものですから」
「怖い? 私が?」
そういえばヨルゴスもそんなことを言っていた気がする。
訳がわからないまま階段を下りる。ルイザは王宮の南にある兵士たちの鍛錬場へと案内した。
真夜中の鍛錬場は静まり返っていた。広い円形の広場の中にはぽつんと二つの人影がある。赤い髪が松明の炎に輝き、メイサはどきりと胸が跳ねるのが分かった。
ルティは赤い前髪から汗を滴らせている。薄い衣は汗で体に張り付き、均整のとれた線を浮かび上がらせていた。
すぐそばではルティよりも汗だくになったヴェネディクトがぜいぜいと息をあげていたが、入り口のメイサ達を見つけると「助かりました」とほっとしたような声をあげた。
ルイザを呼びつけたはずのルティが、なぜこんな夜中に男同士で暑苦しく打ち合ったりしているのだろう。ヴェネディクト相手の鍛錬はずっと続いていたというのだろうか。
訳が分からず呆然とするメイサを、ルティは横目でちらりと見て大きくため息をつく。
「やっと泣き止んだか?」
「泣き止んだ?」
「知ってるはずだろう。俺はお前の泣き顔が苦手なんだ。だから寝室に上がって来れるくらいになるまでは会えないと思ってた」
「まさかそれで避けてたの?」
ヨルゴスの言葉を思い出すメイサの前で、ルティは水場に寄るとバケツに汲んであった水を頭から被った。
「あんなこと、二度とするな」
「あんなこと?」
「薬のことだ。なんだあれ。あんな強烈なのはシトゥラにも置いてないはずだろう」
「あぁ、ヨルゴス殿下のところで調合を覚えたから自分で作ったの。……ええと……でも、害はないはずで」
普通の人間より体が大きいからと少し多めにしたのがまずかったのかもしれない。メイサが僅かに目を逸らすと、ルティは機嫌が悪そうに眉を寄せた。
「十分害があった。お前が泣いても止められなかった。俺は、二度とあんな風にお前を泣かせたくなかったのに」
ルティは明らかに拗ねている。
「でもあなたがどうしてもルイザを相手にしないから」
「それも二度とやるな」
「でも――」
メイサが反論しようとしたとき、後ろで「ルイザさーん!」と情けない声が上がる。ルイザに駆け寄ろうとしたセバスティアンは、石につまづいて、まるで喜劇のように転ぶ。
「おれ、やっぱりルイザさんのこと諦められないです。殿下相手でも戦います。でも戦ったら死ぬので骨は拾って下さい」
めそめそと泣き始めるセバスティアンに、ルイザがやれやれと近寄ると踞る彼の頭をよしよしと撫でる。それでセバスティアンは感極まったらしく、ルイザに抱きついて「どうしても好きなんです」と何度も訴えている。ルイザは苦笑いをしつつも、拒まない。「もうわかったから」と嬉しそうだった。
何かに似ていると思って、メイサはああと納得する。これではまるで――
「犬と飼い主だな」
メイサが思ったことをルティがそのまま口に出す。
「あれを見ても、まだルイザを俺に充てがおうと思うのか?」
「………いいえ。ルイザは諦めるしかなさそう……」
恋人同士ではないと言っていたが、そうなるのも時間の問題だろう。セバスティアンを見つめるルイザがとても綺麗に見えるから、きっと間違いない。
「ルイザ
メイサは頷くと、ルティを真剣な目で見上げる。
「ええ。私、あなたが私よりも相応しい正妃を娶るしかないと思ったの。それをお願いしに来たの」
「今度は何を言い出すかと思ったら……おまえもとことんシトゥラの女だな」
疲れた顔でルティはため息をついた。
「スピカと同じ事をやるつもりなのか? あいつはシリウスと子供のために、妻である事を捨てた。お前も俺と子供のために、妻である事をやめるんだな」
言われてみればとメイサはスピカがシトゥラに囚われていた時の事を思い出す。あのときメイサは皇子から逃げたスピカの事を馬鹿だと思ったが、結局自分も彼女と同じような事をしている。
(スピカが知ったら怒るかしら。きっと偉そうに説教したくせにって怒るわよね。でも私は、こうするしか出来ないんだもの)
そんな事を思いながら黙って頷く。彼は怒りはしなかったが、随分ふて腐れている。そのせいか横顔からはいつもの超然とした様が消えて数歳若く見えた。
「本当は、お前は俺の妻が嫌になったんじゃないのか?」
「そんな事はないの、でも」
聞き分けのない子供をなだめるように言うメイサを、ルティは遮った。
「子供なら、お前としか作らない。それで出来ないのならば、いらない」
「だめ、それだけは、だめよ。あなたのあとを継ぐ子供は必要なの」
どうしても譲れないとメイサも意固地になる。話し合いが平行線を辿りはじめるのを見て、ルティは面倒くさそうに言い捨てた。
「いい加減にしろ。大体、『俺の理想と才能を受け継ぐ子供』なら、既にたくさんいるだろう」
メイサは思わず耳を疑った。
「あ、え、…………そうなの?」
そういえば、その可能性があったとメイサは頬を張られたような衝撃を受ける。昔の事でまでいちいち落ち込んでいたら身が持たないので、普段は考えないようにしているのだ。
(……でも、一人とかじゃなくて、たくさん、なの?)
目の前が一瞬真っ暗になったが、すぐにメイサは頭を切り替えた。
今から作るのではなく、過去に出来た子供が居るのならば、探し出せばいい。幸い彼の血を引く男児は赤髪に茶色の瞳をしていて、とても見分け易いのだから。
目から鱗が落ちる思いでメイサが新たな計画を立て始めると、
「おまえ、今、馬鹿な事を考えただろう? 言っておくが、俺に子はいない」
深いため息をつくと、ルティはメイサの思考を遮る。ほっとしたようながっかりしたような複雑な心地で「どういうこと?」と彼を見上げると、ルティは物わかりの悪いメイサに丁寧な説明をくれる。
「何のために俺が学校を作ったり研究機関を作ったりと
「ルティ、あなた、そんなこと考えていたの」
メイサは呆然となる。同じ企みでも自分の考えたものとは規模が違いすぎて、比べるのも馬鹿らしい気分だった。
「どうして話してくれなかったの――……あ」
そう尋ねたものの、途中で答えが分かってしまう。彼が話す前に、メイサが勝手にルイザを側妃にと突っ走ったのだ。
ルティはようやく表情を和らげた。
「俺に子がいなくても国は富む。だから……おまえは気楽にしてろ」
「で、でも……それは王太子としての考えでしょう。あなたは、あなた個人としては、子供、欲しくないの?」
しつこいとは思いつつ問うメイサに、ルティは即答した。
「欲しいに決まってる」
「じゃあ――」
堂々巡りに入ろうとしたところで、それまで黙っていたルイザが口を挟んだ。
「殿下が望まれているのは、他の誰でもない、メイサ様とのお子ですよ。殿下はそのために私を呼び戻されたんですからね」
「え?」
どういうこと? と目を見開くメイサに、ルイザはにこりと笑った。
「子供が生まれたら、乳母がいりますでしょう? 私は、大役を今から楽しみにしているのですわ」