しかも仕事内容が話とまったく異なった。王子たちの傍に侍って、話し相手や夜の相手をするものかと覚悟していたというのに、そんなことは全くない。以前着ていた服よりもさらに質素な茶色の女官服を身に纏って、顔も半分以上が髪を覆うための大きな布で隠れている。被るのは長い髪は作業の邪魔になるからという理由だそうだ。仕事は食事を担当の女官たちに届けたり、お茶を入れたり、部屋の掃除をしたり。まず王子たちの顔を見ることもない。当然声もかからない。本当に、想像していたような特別なことは何もなかった。
王宮から出ることも出来ず、王妃とも連絡はとれない。メイサが王妃と繋がりがあることは、メイサがシトゥラの娘であることと同じくらい重大な秘密でもあったから、当然こちらから本人にも問い合わせる訳に行かず、メイサは動きがとれずに王宮の隅で連絡を待ちつつ雑務をこなす毎日だった。
(あーあ……私ってこんなことばっかり)
メイサは食事の席に向かいながら微かに呟いた。
どうも何かに邪魔をされているとしか思えない。皆が皆、メイサの華やかな出番を横からかっさらっていくように思えてならなかった。隠されて目立たない、それではシトゥラにいるときと何も変わらない気がした。せっかくルティに認めてもらおうとやる気になっていると言うのに、その前向きな気分がどんどん萎んで行くのを止められない。
メイサはため息をつきつつ、中央に据えられたテーブルから自分の食べる分だけを取り分ける。そら豆で出来た緑色のサラダ、見たことも無い緑色の葉が小さく丸まった野菜を皿に乗せる。なにかの根かと思ったけれど、どうも違うようだ。ムフリッドには無い野菜。輸入物かもしれない。
「これ、何かしら」
思わず呟くと隣に並んだ若い女官と一瞬目が合う。
「さっさとして」
呟きは聞こえただろうに、答えることも無くそう一言。つんと澄まして先を越されて、やれやれとメイサはため息をつく。とても仲良くは出来そうにない。
ルイザのような侍女と違い、女官の待遇はいい。王や王妃、十一人の王子たちの身の回りの世話をするために仕えている彼女たちは、皆アウストラリス貴族の娘だった。そのためその他の使用人と待遇は格段に違っていた。家から自分の侍女を連れてきたりすることも多い。女官の世話をしている侍女を見ていて、メイサは複雑な気分になる。
(世話をする人間を世話するなんて、なんだか変よね)
『この国では貧富の格差がひどい』
昔ルティがそんなことも言っていたような気がする。あの日、ジョイアから帰ってきた彼が語ったのだろうか。あまりに眠くて聞き逃したけれど、こんな風に宮仕えをすることになるのであれば、もっとしっかりいろいろと聞いておけば役に立ったかもしれないなどと思う。
食堂には独特のぴりぴりした雰囲気が漂っていた。女官同士が何か、縄張り争いをする動物のよう。それぞれの主人が今継承権争いのまっただ中なのだ。当然ではあった。
(ああ、確かあれがアステリオン王子の女官たち)
目線の先には麗しい女たちの群れがある。七、八人の群れの中にはさっき目が合った女官もいた。そしてそのうち一人は若い娘だった。何となくスピカを思い出すような華奢な少女。白い肌、亜麻色の髪、空色の瞳は比べて濃い色素を持つ周りの女の中で浮いていた。瑞々しい雰囲気を見るに、おそらく歳も十六、七くらいだろう。
アステリオンは広大な岩塩の鉱山を持つプリオル家出身の妃レダが産んだ第二王子。岩塩の輸出は国の財産の大部分を占める。その採掘を一手に担うかの家は国内で最大の権力を持つ家だった。つまりアステリオンは特に苦労せずに育った坊々。その上、彼はどうやら女、しかも――あんな風に初々しい少女が特に好きという噂を聞く。
(父親そっくりって訳ね)
彼の父はラサラス王の兄ザウラクだが、アウストラリスの王子十一人のうち半数以上がザウラクの子なのだ。アウストラリス王家では側室を多く娶るため――しかも皆が皆王位継承が出来る王子を望み工夫するためか、産まれる子供にも男児が多い――その傾向は大きいけれど、それにしても多かった。親も親なら子も子だ。
そう思って苦々しく息をつくメイサの前で、当の可愛らしい少女は女官たちの群れから外れると一人、ぽつんと食事を取り出した。その寂しそうな様子に思わず眉が寄る。
――きっとあの少女が今彼の寵愛を受けているのだろう。周りの嫉妬の空気を読むと自然そんな図が頭に浮かぶ。
彼はもう三十になろうというのに、身も固めず、次から次へと女をとっかえひっかえ、気に入ったら片っ端と言う噂。それを聞いて、メイサは眉をしかめずにいられなかった。彼が王位につくことになったらきっと巨大なハレムが作られることになりそうだというのが、王宮に入ってメイサが拾った噂の大部分だ。
それから――
『ねぇねぇ、聞いた? ほら、ヨルゴス殿下のところの女官』
『あーー、またでしょ? ひと月持った?』
『いいえ。せっかく見つけてきたのにねぇ……どうしてなのか全然定着しないのよねぇ』
『うーん、理由を聞きたかったのに、気が付いたらもう暇を出されてしまっていて。それに殿下ご自身もご自分のお庭に籠っていらっしゃるってことでしょう? 戻って来られたと言うのにしばらくお顔を拝見していないもの。……あれじゃ不気味で誰も行きたがらないわよね。まだアステリオン様の方が分かりやすくて安心よ』
ひそひそとそのアステリオンの女官の群れが囁き合うのが聞こえる。きっとメイサに聞こえていないと思っているのだろう。彼女の耳は特殊だから、当然と言えば当然なのだけれど。
メイサは首を傾げる。なぜ女官が辞めてしまうのだろう。王妃は彼のことを偏屈と言っていたけれど、それはどういう意味なのだろう。
ヨルゴスはルティより三つ年上の比較的歳若い第十王子だった。同じくラサラス王の兄の子で、母方の家があまり財産を持たず、ルティと同じくあまり注目されていない王子の一人だったのだけれど、本人の頭が良いらしく、ここに来て継承権争いに加わっている。聞いた話では、薬学と医学に通じていて、たとえ王子でなくともその道で生きていけるのではないかと言うのが、彼に関する表の噂だった。そして、それを聞く限り女官が辞める理由が全く分からない。彼に関しては裏の部分が見えないのが……確かに不気味だった。
正直、メイサはどっちの王子も願い下げだったけれど、ここで逃げては自分は役立たずのままだ。メイサはルティに王位を継いで欲しかった。メイサの目には、――身内という贔屓目を除いても――彼はこの国のどの王子よりも王に相応しく見えた。
(継承権、か)
その争いは山場を迎えつつある。王位継承の試しは、全員が受ける訳ではない。まずその試しを受けるかどうかを申し出ることになっているのだけれど、既にルティ、アステリオン、ヨルゴス以外の残りの八名の王子は、主にアステリオンに
そしてルティにはスピカという勝算があった。しかしそれを失った。ルティは否定したけれど、メイサのせいで。
『俺は諦めていない』
彼が言った言葉が妙に耳に残っていた。諦めない? それは一体
(まさか――スピカを?)
メイサは当初、ルティがスピカを王妃とすることを継承権争いの武器にするつもりだったのだと思っていた。だけど、スピカを見て、彼の態度を見てそれは少し違うのではないかと思った。彼がスピカの力以外のものに執着を持っているように思えてならない。ルティはスピカを他の女のように駒にしなかったし、なにより、あの体に残された所有の印が未だにメイサの目には焼き付いている。
皇子を取り戻した彼女は鮮やかだった。何かが特別だった。あれほどの輝きならば、きっとルティの目にも眩しく映ったに違いなかった。だから、あのシリウスという名の闇の皇子が言うのと同じく、「好きだから娶る」それに近かったのではないかと思い始めていた。
もちろんそう思いたくなどないし、メイサの目論んだ通り、スピカはもう皇子の元にいるのだから、彼ももう彼女をジョイアの皇宮に閉じ込めて、手放したりはしないのだろうから……今更考えても仕方がないのだけれど。
(まさか、よね)
なぜだろう。メイサを脅かす存在は去ったというのに、不安は胸の隅で燻ったままだった。