6.女たちと影 01

 メイサが食堂を出て、女官の詰め所へと向かう途中、長い渡り廊下に女官たちの群れがある。紫、青、黄、緑……など。城内では王族のみが身につけることを許された〈赤〉を除く、色とりどりの華やかな衣装が白い廊下の上に咲き綻んでいた。
 あれでは声をかけなければ通れない。思わず舌打ちして身を翻そうとした。が、一瞬遅い。
 一人の女性――メイサが一番気づいて欲しくないと思っていた顔がこちらを向いた。以前からどうも目を付けられている気がしていたのだ。そしてどうやらそれは勘違いではなさそうだった。
 少々幼く、しかし気の強そうな顔立ち。栗色の髪に、漆黒の瞳。漆黒の瞳はこの辺りでは珍しい。
(あの皇子もそうだったけれど……でも輝きが全然違うわよね。あれは比べるのが馬鹿らしいくらいだったし)
 そんな風に一瞬メイサは黒髪の、女以上に麗しい皇子を思い出した。
 その間に女がカツカツと靴音を鳴らしてメイサの方へ向かって来る。
 背はメイサと同じくらいだろうか。女にしては背が高い。そして、どうやら自慢なのだろう、胸元の大きく開いた薄紅色の服を着て重そうな胸を強調していた。確かにそれは良く熟しているが、なんだかいろいろと不釣り合いな印象。比べて幼い顔のせいかもしれない。違和感からか、どうしても胸に目がいってしまう。
 彼女の名前は知らないけれど、メイサが盗み聞いて集めた情報では、確か南部の都市カルダーノの貴族の娘だった。その身に纏う強烈な花の香りの出所を聞いて、なるほどと思ったのだった。その花はアウストラリスの南部に位置するオアシスで採れるミュランという花だった。メイサはシトゥラでその香りを嗅いだことがあり、その正体を知っていた。
 香りを嗅いだ時のことを思い出し、学んだことは意外に身に付いてるものだなと自分で感心していた。
 メイサが昔学んだそれは、植物から採れる香油の持つ様々な作用を羅列している本だったのだけれど、さすがにシトゥラで扱われるだけある。今思い返すと催淫作用のあるものが多く載せられていた。実践で使うからといくつか香りを試させられたけれど、幼いメイサは何も考えずにそれらを覚えていたのだ。
 そもそも〈催淫〉というその意味を知ったのはメイサが成人した後、シトゥラの娘の役割を知ったときだった。そんな風に、シトゥラは成人すればすぐに実践に移せるように水面下でだけ準備を整えていた。知識を存分に埋め込み、あとは儀式を経て、娘は知識と現実を結びつけ――力を開花させる。
 メイサも、ルティとの夜を超えて、なるほどと思えることが一気に増えたのだ。何事も経験に勝る知識はないと、メイサは思う。おそらく知識は経験に結びついてこそ、力を発揮するのだ。
 あの夜使われた香――ルティを追いつめるために薫きしめられたあの香も、メイサの記憶にはないけれどもきっとそういう類いのものだったのだろう。メイサは皇子と過ごしたあの夜以降、ルティとの夜を思い出すことが増えたのだけれど、その度に、あれはどういうことだったのかと考えてしまう。――未だ答えは出ないけれど。
 そういえば、本にはどこかに『嗅覚へと結びついた記憶はなかなか消えない』とも書いてあった気がした。確かに、もしあの香りをもう一度嗅ぐことがあれば、一瞬であの夜のことを思い出すような気もしていた。
「あなた、確か」
 いつの間にか傍に寄っていた女に声をかけられメイサははっとする。またもや彼女はぼんやりと過去に潜り込んでいた。
(ああ、だめ、こんなときなのに)
 逃げようとするけれど、とっさに足が動かない。
 女はメイサの体をじっと観察すると、少々不満げに鼻を鳴らす。
「この頃入ったばかりというのに、もうルティリクス殿下に色目を使ってるらしいじゃない」
 声が尖っている。耳が痛いような気がした。
「いいえ。そんなことはありません」
 もともとは同じく貴族の娘として対等なはずの立場なのに、主を預からない今のメイサは妙な立場の弱さを感じる。見習いというのはやはり何かの陰謀かもしれない。しかもメイサはルティの従姉だとはとても明かせない。大人しくしているしかない。
(でも、一体、この女は何もの? ルティの配下……ならば、シトゥラの縁者のはずで)
 考え込むメイサに女は一人勝手に息を巻く。
「この間殿下が一人で歩かれている時を狙って声をかけていたじゃない。図々しい」
「いいえ、あれはただの偶然です」
(ルティはまだ誰のものでもないのに、図々しいのは一体誰かしら?)
 そう意地悪なことを思いつつ、面倒なのでメイサは項垂れたままだった。こういうのは構えば構うほどよく吠えるもの。
「――順番があるのよ。割り込みは困るの」
「順番?」
 顔を上げると不敵な笑み。さすがに不穏なものを感じる。
「もちろん、夜、お部屋に伺う順番よ。――ほら」
 胸の痛みを抑えつつ彼女が促す方向を見ると、先ほどの女たちの群れがある。「後ろに並ぶのは自由だけれど……。もうあれだけ待ってるのよ、正直、これ以上増えないで欲しいの」
 メイサがそちらを見たと知ると、皆あからさまな牽制の視線を向けてきた。慣れているものの……やはり知るのは苦しい。自分があの中にさえ加われないことを知ると余計に。

「――ミュラ」
 メイサは一瞬香の名かと思ったが、どうやらそれが女の名だったようだ。女の群れから声が上がる。女が振り返ると、声が続いた。
「もうそんな女放っておいて。早く決めましょう? 誰がエリダヌスになるの?」
 ミュラは嬉しそうに胸を張る。
「それは、私よ。だってジョイアに親戚がいるのは私だけだもの。それに、うふふ、お前ならいいかもしれないって、――殿下が!」
「えー? ずるーい、私もルティリクス様のお役に立ちたいのに!」
「あなたもお使いを頼まれてたじゃない! 私は今度が初めてなのよ? 何度もなんて、そっちの方がずるいわよ!」
「ミュラったら随分入れあげてるわよね」
「でも負けないわよぉ? 何たって殿下の妃の座がかかってるんだもの」
 嬌声が上がり、呆然とするメイサの前で、女の群れは歩き始めた。
(妃って……どういうこと?)
 メイサは王位継承には妃が必要だということをふいに思い出した。ルティは、つまり〈役に立つ〉彼女たちの中から、妃を選ぼうとしているということなのかもしれない。――スピカをそうしようとしたように。
 群れが建物の影に去った後、一人取り残されたメイサはようやく浮上する。そしてミュラという女が言った言葉が急に耳に蘇り、脳裏に浮かび上がったままのスピカという名と結びつく。とたん胸が激しく騒いだ。

(え、待って。彼女なんて言った? ――ジョイア?)

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2010.07.20