8.野心と恋心の狭間で 02

 ミュラはシトゥラに到着後丸一日で、細かい作戦に加えて、ジョイアの仕来り及び、文化について叩き込まれた。予備知識があったものの、足りない部分も多かった。
 まず服装からして違う。ジョイアでよく着られている服はアウストラリスと違い、ゆとりのあるものが多かった。服と肌の間を通る空気が肌寒い。風邪を引きそうだとミュラは思った。
 風土が違う為、服が違うのも当然なのだという。かの国は湿度が高い。そのため、夏の不快さが格別で、住処も衣類も夏の厳しさを少しでも快適に乗切る為に作られている。温度は高いが、湿度の低いアウストラリスの夏では、汗はすぐに熱で乾くけれど、ジョイアではそうはいかないそうだった。風通しの良い衣類はその為の工夫だそうで、そういったものが好まれて着られていると聞く。
 今、春に入ったジョイアは日差しも強まって雪が溶け、それに伴って花も咲き始めたそうだ。割合過ごしやすい時期のようで、気候の違い一つをも不安に思うミュラも、いろいろ情報を手に入れる度に、随分と安心できていた。


「もうちょっとうまく胸を強調できないものかしら?」
 ミュラは予めいくつか用意されていたジョイア風の服を合わせてもらいながら、傍に控えた侍女に注文を付ける。先ほど紹介された彼女は、確かルイザと言う名だった。
 何着目かで差し出されたのは、襟の詰まった淡い桃色のドレス。なだらかなラインを描いたそのデザインはもともとは比較的華奢な娘向けだと思えた。それでも試しにとミュラは着てみたが、二の腕が少し窮屈に感じた。その割に胸の所の布が僅かに余り、だらしなく見えた。布はそのまま腰でくびれること無く真下に落ちていく。腰を飾り紐で絞ってみるものの、胸の上の布に比べて下の布がたるんでしまっていて、ゆとりが有るにもかかわらず、どこか窮屈に見える。
「いかがでしょうか? エリダヌス・・・・・様」
 呼ばれる名にもまだ慣れない。この似合わない服と同じようで不快だった。
 さらにミュラはルイザの声に、気のせいかもしれないが、少し侮蔑が混じっている気がして、苛立った。
「入ることは入るけれど……」
 いくつか着てみたものの、今のところ全滅。特にこれはひどい。一体誰に合わせて作ったのか分からないけれども、据えられた姿見に映るミュラは、僅かな布のたるみで妙に太って見えてしまっていた。これはミュラには似合わない。腰はもっと絞って、襟刳はもっと開いて鎖骨と胸の谷間を強調すべきだった。
「これも駄目ね。別のにして。襟の開いたものがいいのよ、あと腰がくびれて見えるように」
「さようでございますか」
 ルイザはポケットからメモを取り出して、さらさらと何かを書き付けると、ドレスを探しに衣装部屋に戻ろうとした。思いついて、その後ろから声をかける。
「それから、宝石も欲しいわ。ほら、胸に埋めるのよ。何かいいものは無いの?」
 なんといってもミュラの将来がかかっているのだ。自分の武器は最大限に生かさなければと思う。俯いてメモを取っている侍女に向かって、ミュラは少々の熱を込めつつ続ける。
「ドレスの色も──赤がいいわ。殿下の御髪のような鮮やかな赤。ジョイアには着てはいけない色なんてないのでしょう?」
 そう言うとルイザが顔を上げ、あからさまに眉をしかめる。地味だけれど僅かにきつい顔つき。顔をしかめるとそれが余計に強調されていた。彼女がジョイアにいる間、ミュラの世話をしてくれることになったと聞いたが、あまり仲良く出来そうにない。ミュラはその顔を見てはっきりと自覚する。
(そう。私、その顔が気に入らないの。黙って言うことを聞けばいいのよ)
「赤、ですか? でも、それは──」
「いいえ、赤。赤以外は着ないから」
 ミュラは胸を張ると尊大な声で言い切った。先ほど隣にある衣装部屋をちらりと盗み見たのだが、そこにはなぜか様々な国の衣装が並んでいた。アウストラリスのものはもちろん、ジョイア、それからティフォンなど南方の国々のものまで。そして奥の方に、ミュラは美しい異国風の──おそらくジョイアでも通用しそうな──赤のドレスも見つけたのだ。この侍女はミュラの視線に気が付いたのか、さりげなくそれを隠したけれど、その動作のせいでミュラは余計に気になっていた。
 ルイザにそう言うと、
「あれは、王の色でございます」
 彼女は顔をしかめたまま、きっぱりと言い切った。ミュラには着せたくない、そういった意図が見え見えだった。
「ジョイアでは違うわ」
「でも」
「殿下に申し上げるわよ? あなたが任務の邪魔をしたって」
 そう睨みつけると、漸く彼女は折れる。しぶしぶという態度に、ミュラは意地悪な気持ちになった。
(そうね、あんたには似合わないものね。似合う人間とそうでない人間がいるっていうこと)
 ──赤。アウストラリスで王族にしか許されない色。妃となれば許される色に、女は皆憧れる。ミュラは王宮でその色を身に纏うつもりでいた。それ以前に、ミュラにはその色が似合う。──あの燃えるような色の髪が自分の肌によく映えることを知っていたのだ。

 *

 それから五日後のことだった。
 ジョイアの皇子の立太子の儀があと八日と迫ったその日、アウストラリスからの慌ただしい旅がやっと終わりを告げる。
 普通七日かかる距離を夜移動することで随分と縮めた。そのためミュラの体はあちこち強ばってしまっていた。国境で乗り換えたのは、ケーンの貴族が用意したと言う比較的乗り心地の良い馬車ではあったけれども、さすがに体は悲鳴を上げていた。途中からは外の景色を見ることも出来ないほどで、馬車の中ではひたすら眠っていた。そんなミュラに馬に乗れればもっと短縮できるのにとルイザはぼやいたけれど、無視した。身分のある女がそんなものに乗る必要などどこにも無いと思っていたのだ。

「到着です」
 その声とともに扉が開かれ、馬車の中に光が舞い込んだ。
「あぁ────」
 目線をあげて、ミュラは言葉を無くした。
「エリダヌス様?」
 後ろから声をかけられて、はっとする。エリダヌスという名に反応できないほど自失していた。体が震えているのが分かり、ドレスを握りしめてそれを抑えようとする。
「なんて……」
 すぐには言葉にならない。大きな石造りの本宮を中心に、それを取り巻く木造・・の外宮。アウストラリスでは木造の建物など見たことが無い。水の無いあの土地では木で出来た建物など、贅沢品の極み。それこそ王宮にさえ存在しないのだ。
 それから建物の隙間から見える、眩しいほどの緑。本宮と外宮の間──中庭は芝で埋め尽くされ、整然と植えられた木々の枝には赤く膨らんで今にも溢れそうな蕾。外宮を取り囲む垣根からは赤や黄など、色とりどりの新芽が芽吹いている。
 山の頂に静かにそびえ立つその城は、建設の労力を考えるだけで、ジョイアの豊かさをミュラに知らしめた。しかもその異質な二つの建物は上手く調和してひどく雅だ。自分を田舎者だと考えたことも無かったミュラだったが、この城で浮かずにすむのか──想像するだけで怖くなる。
 辺りを取り囲む咽せるほどの花と新緑の香りは、水に慣れぬミュラの体には強烈に染み渡る。外宮から漂う木の甘い香りも慣れぬミュラの鼻にすぐに染み着いた。目に入る鮮やかな美しい色、肌で感じる湿度、まるで香のような木々の香り。全てが固まりとなって酒のようにミュラの体を酔わせた。
 のしかかるような圧迫感があったアウストラリスの王宮とは違う、どこか柔らかい宮殿。ミュラはその悠々たる佇まいに瞬く間に魅了された。
「すごいですね」
「……ええ」
 ルイザも感心したように言うのが聞こえ、ミュラは珍しく素直に頷いた。否定する理由が無い。
(なんてところなの。これじゃあ……皆がこぞって欲しがるはず)
 ジョイア──水と緑に囲まれた豊かな国。その中枢にあたる宮の姿は、ミュラのうちに燻る野心に確実に火をつけていた。

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2011.05.14改
2010.08.13