10.均衡が崩れる音 01



 シャウラは連絡の取れない息子を探していた。侍従を総動員して彼の部屋のある塔から、愛妾たちの部屋、女官部屋から下働きの娘の部屋まで、女という女のところを隅々探させたのだけれど、見つからない。情報を取り寄せているうちに、ようやく馬丁が見かけたという一つの情報が上がって来た。
 気軽に動けない身だ。数人の侍従を介して情報が回り回ってくるまでに、彼女の苛立ちは最高潮になっていた。最後に情報を持って来た運のない侍従──ルティリクスの近従にシャウラは責めるような厳しい言葉を投げる。
「それで。ルティリクスはどこに? 街で娼婦とでも遊んでいるのかしら?」
 もともと彼は単独行動が多い上に、基本的に女しか使わないので、性別が男であれば直属であろうとも近従が行き先を知らないことも多いのだ。しかし、まだひと月前に受けた傷は完全には癒えていないというのに、この頃外出──しかも遠出が多い気がしていた。今まではさほど気にしなかったが、王太子となった彼は今までより自由が減っている。それなのに昔と同じように行動されては困る。いい機会だ、自覚をしてもらわねばならなかった。
「ああ。ええと、ジョイアまでおでかけだということです」
 頼り無さげに背を丸める近従。まるでお使いのような言葉にシャウラは「ふうん」と頷きそうになったけれども、直後ぎょっとする。
「ジョイア? ジョイアですって?」
「届け物を受け取りに行かれたとか──ええとすぐに戻られると言われていたそうなので」
「すぐって? ジョイアだったら、すぐの訳がないでしょう。いつ出たの」
 王都から一番近い都市オルバースでも往復で二日はかかるのだ。
 侍従は手元のメモをちらりとみる。
「七日前の朝だそうです」
「なぜ止めないの!」
 思わず激したのは、胸の内に嫌な予感が広がったからだった。ジョイア? 今更何を。定期的に貰うシトゥラからの報告では、もうあの国にはしばらく用事はないはずだった。
「しかし、予定では本日中にも戻られるとか」
 侍従は困ったように眉を寄せる。情報を持って来ただけの彼に当たっても仕方が無いとシャウラは大きく息をついて切り替える。
「最近何か動いていたわよね? そうだわ、カルダーノから来た者が騒いでいると聞いたのだけれど、あの子確かカルダーノにも出かけてたでしょう?」
 そもそもルティリクスを探し始めたのはその報告が入ったからだ。彼に直訴に来たらしいのだ。王が聞きつけるなりシャウラに丸投げした。息子の扱いに戸惑う父親も母親もいつも彼に関する面倒ごとを押し付け合っているが、結局は王妃は王には逆らえない。シャウラはいつものように面倒だから自分で解決しろと言ってやるつもりだった。それでいつもうまく行っていたのだ。
「ああ、ええと」
 侍従を責めても仕方が無いのかもしれない、あの若き独裁者は何を言っても聞かない。父親と同じく。まぎれも無く彼の血を引いているとこういうときに強く感じる。
「表に来ているのは、ミュラという女官の両親だということです」
「何を言って来たの」
「娘が殉職した補償をと」
「──殉職?」
「ジョイアにて任務遂行中に亡くなったとのことです」
「そう。でもそんなこといつものことではないの。それに、補償はいつも出しているでしょう。何か問題でもあったの」
 シャウラはいつものことだとあっさりと切り捨てた。シトゥラの者にとって、そんなことは日常茶飯事だ。いちいち気にしていられなかった。間者である娘たちは身元が割れる前に自ら命を絶つことになっている。
 少なくともルティリクスに仕えるような者であれば、その覚悟は出来ているはずだった。
「それが……身分を偽って潜り込ませていたので……遺体を引き取れないとか。事情を知った母親が半狂乱で」
「……」
 その話を聞く限りは、どうやら、使ったのはシトゥラの縁者ではないようだ。シトゥラの娘は減っているけれど全くいない訳ではない。分家には確か余っている娘はいただろうに、一体何に使ったというのだろう。ジョイアの内政でも探らせていたのだろうか。
「最初は悲しみはしていましたが、穏やかでした。しかし、補償金の手続きを進めていたところ、殿下の個人的な任務と知って、逆上していて」
 個人的という言葉に嫌な予感が増したが、それを抑えて続きを促す。
「面倒ね。でもルティリクスにしては珍しいわね。あの子は知っているの」
 侍従はそこでまたメモをみる。
「はい。殉職の知らせは別途ご逗留先へお届けしているそうです」
「変に手際がいいじゃないの。そういえば、あの子はそうまでして何を欲しがったのよ。大体、自ら出向くなんて。さっき受け取りにとか──」
「護衛を一人お連れになったそうですが、彼と『うまく行けばスピカを手に入れられるかもしれない』と話されていらっしゃったとか」
「──なんですって? 待って、そんなこと初めて聞いたわ」
 シャウラは思わず椅子から立ち上がると侍従に詰め寄った。
「スピカ? だってあの子は今頃ジョイアの皇太子妃になっているはずでしょう。ヨルゴスが立太子の礼に向かったじゃない」
「なにか問題でもあるのですか」侍従は問う。「以前から殿下が妃に所望されているそうです。以前ジョイアから連れ出された時もその予定だったとお聞きしております。城でも噂になっていましたが、どうやらお披露目される前にと計画されていらしたようですね。ご存知ではありませんでしたか」
 侍従は、その一大事をなぜ母親が知らないのか分からないとでも言いたげな、心底不思議そうな顔をしていた。
「な、んですって」
 今度は声が震えた。確かに噂は聞いていたけれど、それは──スピカを求めていたのは〈過去のこと〉のはずだった。しかも彼個人の望みではない。スピカのアウストラリスへの帰還は──すべてシトゥラのため。アウストラリスの将来のため。
(妃ですって)
 シャウラにとって、その情報は寝耳に水だった。
「それはいつから噂になっているの」
「あ、ええ、ひと月前でしょうか」
 ということは最初の誘拐作戦のときにはカーラはそのことを知っていたことになる。あのときには既にその予定で攫って来ていたのだ。反対されるのを予想したのだろう──シャウラにはそう伝えずに。
「お母様は何を考えていらっしゃるの。なぜそれを私に教えて下さらなかったの! 大体もう継承権争いには決着がついたのに、今更何? 当主だという話だったのに。妃ですって? そんなこと──」
(それはだめ。絶対に──)
 侍従が目に入りはっとする。誰にも漏らすことができない禁忌に口をつぐみながら心の中で必死で叫ぶ。シトゥラの事情を知らない侍従はそんな王妃を不可解そうに見つめていた。
(それにしても)
 シャウラは侍従の目を避けるように窓辺に寄ると小さく叫んだ。
「大体、あの子は──なにをとち狂ってるの!」
 彼が好きなのはスピカではない・・・・・・・。それは少し注意して彼を見れば明らかだった。シャウラは少なくとも知っている。まだ十になったばかりの幼い彼が昔、誰を守りたくてジョイアに一人で潜入したのかを。
 そして今──その身をあんな風に泥の中に沈めているのも、きっと──
 どうして彼が自分の気持ちから逃げ続けるのか、シトゥラの人間ならば誰もが知っている。当事者以外は、おそらく全員。しかし知っていても、言えない。王妃となったシャウラでさえ、カーラの報復を恐れて口に出来ないくらいなのだから。
(全部お母様のせいだわ)
 そして、彼女に逆らえずに、シトゥラを止められなかった──身に受けた不幸を嘆いてばかりで、息子を守れなかった弱い自分のせい。
 シャウラには見えていた。嘘で塗り固めた仮面の下で、彼が必死で歯を食いしばっているのが。
(止めないといけない)
 シャウラは急激に沸き上がった焦躁に胸を焼かれた。
 万が一、彼が本気でスピカを娶ろうなどと考えるならば、それは今度こそ実現する。彼は手段を選ばない。そして諦めもしない。狙いを定めたままならば、必ずいつかその腕に彼女を抱くだろう。
 カーラは全て知っていたのではないか。でも、まさかその企みを許すとはなぜか考えつかなかった。あれほどの禁忌に再び手を染めるなどとは、シャウラは思わなかったのだ。カーラの娘と息子、つまりシャウラの姉兄きょうだいがどうなったのか。あの結末に母が少しは苦しんでいると──シャウラは信じたかったのだ。

(そうね、あのお母様が、そんな感傷に浸る訳も無かった……)
 既に生温い方法をとっている場合ではないのかもしれない。シャウラは侍従にひと声掛けると、急いで娘を呼ぶよう言付けた。

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2010.09.08