2.攫われた少女 01
「ずっと昔、飢饉でアウストラリスが貧困に陥った時に、わずかに生産される穀物と、鉱物の輸出で作った財を国民に均等に分配するようにしたって。そうやって飢饉を乗り越えたアウストラリスはそのまま徐々に国力を蓄えたけど、ある程度国が豊かになったところで、成長が止まった。いくら働いても取り分が同じ。出来高がよくとも関係ないとなると、国民は頑張らなくなる。役人に取り入り、税収を下げてもらうように賄賂を贈ったほうが効率がいいんだ。結果、この国は腐敗し、貧困は改善されないようになった」

「ふうん」

「当然、不満が噴出して王家は困ったんだが、その国民の不満をジョイアに向けさせ、戦を始めた。――ぜんぶジョイアのせいだって、国民に思い込ませた。それが百年前の戦争だ。戦を始めたとき、王家は全ての国民の財産を国のものとした。もともとそういう礎があったもんだから、意外にその政策は受け入れられたんだ。で、さらに独裁政治が進んで、今に至るってさ。それから……その時の教育のせいで、アウストラリス国民はジョイアに良い感情を持たないんだ」

「……へえ」

「俺はなんでこの国の人間がジョイアを嫌うのか疑問に思ってたんだ。で、ジョイアに行って余計にそう思った。教えられたようなひどい人間は居るにはいるが、ごく一部だ。今いる騎士団の奴らもさ、いいヤツばっかだよ。つまり、国に感情を植え付けられてるってことだろ? ――父上はラナの事で余計にジョイアを憎く思うようになったようだけど、俺はもうちょっとやり方はあるんじゃないかって思ってるんだよな。なあ、ちゃんと聞いてるか?」

 暗く湿った部屋にルティの声が響いていた。メイサはベッドに寝そべったまま、あくびを噛み締める。それを気にすること無く、彼は何かを誤摩化すように延々と話し続ける。沈黙が落ち着かないようだった。
 メイサは適当な相槌を打ちながら聞いていたけれど途中から眠くて仕方が無くなった。
 相変わらず賢いなあと思うだけ。こう言っては怒られるかもしれないけれど、メイサにとってはジョイアのことなど興味の無い事だった。
 せっかく久々に会えたから、面白い話をしてと言ったのは確かにメイサだった。それなのに、どうしてこの子はこんなメイサによく分からないような小難しい話をしているんだろうと、不満に思う。
 メイサはしばらくぶりに見る少年をじっと観察する。十四歳になった彼は、驚くほど大きくなっていた。腰掛けた肘掛け椅子が窮屈に見えるくらいに。メイサも当然大きくなったはずだったけれど、五年前は頭一つ小さかった従弟に、いつの間にか逆に頭一つ抜かれていた。
 赤い髪だけは相変わらず鮮やかで、ジョイアでは騎士団に潜入しているせいか、棒のようだった腕も、薄っぺらかった体も引き締まった筋肉で形よく整えられている。まだ出来上がっていないその体は、大人に囲まれて過ごしているメイサが今までに見たことの無いもので、妙な色気を感じさせた。メイサの成長とはかなり違う。メイサが柔らかくなったと思ったら、ルティはその反対に硬くなったらしい。筋張った手首から肘の線が綺麗で、なんとなく、触れてみたい、と思った。
「私……もう寝てもいい? 眠いもの」
「あ、ああ」
 ルティは少しがっかりしたように口を閉ざす。
「……お前、やっぱり、興味なかったか……俺は面白い話だと思ったんだけどさ」
「私は何も知る必要がないんですって」
「ババアが言ったのか」
「カーラ様がね」
 相変わらずの様子にくすりと笑うと訂正だけしておく。
「あなたが居なくなってから、私、与えられた書物しか読めなかったのよ。だからさっきの話もよく分からないところが多かったかも。相変わらず外にも出れないし……見て、この不健康な肌」
 メイサが腕を捲ると、青白い肌が現れる。ルティの日に焼けた肌と比べるとなんて不健康。近寄って並べてみると、ルティは少し困ったような顔をする。
「近づくなよ」
「え? なんで?」
「ババアが何考えてこんなことしてるかくらい、分かるだろ。ってか、聞いてないのかよ」
 メイサは首を傾げる。確かに、急にルティがメイサの部屋に押し込められて、外から閉じ込められた時は驚いた。彼が一時帰国することは聞いていたけれど、帰ってくるなりのことで、メイサには一体何事か分からなかった。
 でも、ルティは昔から良くメイサの部屋で遊んでいたし、遊び疲れていつの間にか一緒に寝ていたこともある。正直あまり気にしなかった。「部屋に空きがない」と言われて、そのまま納得していた。
「部屋が無かったんじゃないの。そう言われたわよ?」
「んなわけない。この家にどれだけ部屋があると思ってるんだ」
「そういえば、そうね」
「お前……」
 ルティは眉を寄せて考え込む。そしてややして言った。
「考える力まで削がれてるって訳かよ。最悪だな」
「どういうことよ?」
 メイサがやっぱりきょとんとしていると、ルティは苛立たしげに目を細めた。その目には真剣な光が見て取れて、その鮮やかさに一瞬で眠気が覚める。
「メイサ、お前は、もっと色んなことを知るべきだ。押し付けられた教えをそのまま飲み込むな。自分の頭で考えろ。でないと――今にだめになるぞ」
 メイサには何を言われているか分からなかった。その様子を見てルティは舌打ちする。
「この家は……どこか腐ってる――俺はババアの想い通りにはならねえからな」
 ルティは確かにそう言った。そして――メイサが思い出すのはいつもそこまでだった。
 その後、ルティは窓から逃げ出して、そして……――

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2010.04.24