12.赤髪の皇子 03


 そしてそれは、ルティがスピカを伴ってエラセドへやって来てから半月ほど経った日のことだった。
 相変わらず彼はシャウラを訪ねて来ては、スピカとの結婚の許しを乞うたけれど、彼女は頑として許さなかった。王宮に流れる彼女の話題を聞くのも嫌だった。そしてそれだけ反対していると表に現す為に、公務もそこそこ、部屋に閉じこもっていた。

 しかし、突然シャウラを訪ねて来た訪問者は開口一番宣言した。
「人が必要だ。スピカの相手をする人間が。シトゥラにアイツを連れて行くが、問題ないな?」
 彼はなぜか既に旅装を整えていた。彼の顔には相当な焦りが現れている。シャウラはあまりの展開に目を見開く。
「シトゥラですって? なんでまた」
「父上がスピカに目を付けた」
 それで彼の形相に納得し、シャウラも愕然とする。
「そんな」
「何かを思い出された──多分、ラナを」
 ルティとスピカのことで頭がいっぱいで、そちらを失念していた。スピカはラナの娘なのだ。当然似ているはず、しかし──ラナにそっくりなシャウラを見て思い出さないものを今更思い出すとは思わなかった。スピカにはシャウラには無い何かがあるのだろうか。とにかく、そういう理由ならば遠ざけなければならない理由はシャウラにもあったため、強く引き止めることは出来ない。しかし──
(なぜそこでメイサが出てくるの?)
 そういえば、メイサはあの呼び出しのあと部屋に現れなかった。問い合わせれば急に熱を出したということで、数日休ませた。回復の連絡は貰ったけれど、シャウラが引き蘢ったためそのままになっている。
「でも、メイサは、あの子一応まだ追放処分中で……」
「ババアはこっちで説得する。といってもシトゥラに返す訳ではないし、追放には変わりないから問題は無い。アイツはシトゥラの娘としてではなく、単なる使用人として戻るだけだ」
 カーラには絶対に返さないという意志が見えた。追放──そのことの意味は、知っていた。メイサのことを思っての処置だと。彼女をシトゥラの檻から出したかったのだと。だけど──
(まさか)
 まさか、ここまで封じ込められてるとは思いもしない。
(メイサを傍付きですって? あなたの妃スピカの?)
「あなた……馬鹿?」
 思わずぽろっと本音が漏れると、貶されることに慣れない息子はさすがに不機嫌な顔をする。
「何が?」
「本気で気が付かないの?」
「だから、なにを?」
 シャウラはそこは答えない。彼女はメイサが絶対に告げないつもりでいることを知っている。だから気づかないふりをしている。それなのに本人に言えるはずがない。シャウラは代わりに問い続ける。
「あなたはスピカを妃にするつもりなのよね?」
「ああ」
「それで、その傍付きにメイサを宛てがう訳?」
「適任だと思うが? 一番信用できるだろう」
 何が悪いと言いたげな顔だ。確かに、言われてみれば、メイサの気持ちさえなければ、適任だ。シトゥラ内で信用できる人間。そして妃の傍付きに相応しい身分、そして──曰く付き。シャウラは頷くべきだ。でも、言わずにいられない。彼の意図を確かめずにはいられない。
「どこが適任なの。殺しかねないじゃない」
「どうしてアイツがスピカを殺すんだ? スピカが妃になれば、アイツはクレイルを手に入れやすくなるのに」
「は? クレイル?」
 久々に聞いたその語にシャウラは呆然とした。
「あいつは、その為に男と寝るくらい、クレイルを欲しがってるだろう? 利用はしても、殺すはずない」
 彼はひどく不快そうに鼻で笑う。目にも静かな怒りがたたえられて、その鋭さにシャウラは背が冷える気がした。
(何を言ってるの、この子は)
 勘違いの根が思ってもみない場所にあることを知り、とっさにどう動いていいか分からなくなる。
「じゃあ、クレイルを餌にメイサに仕事をさせるの? ──他の女みたいに」
 ルティは、メイサをシトゥラから切り離したいのではなかったのだろうか? 少なくとも彼女にはそう見えていたのに。
「アイツをクレイルにはさせない。──さっき言っただろう、〈適任〉だからだ」
 ルティはシャウラの問いに是とも非とも答えない。そして、懐から紙を出すと突き出す。それは辞令の書かれた紙。いくら突きつけても返されたものだった。今、彼の印章がそこに押されてあった。
「とにかくもう決めた。貰っていくが、俺の女官だから・・・・・・・・、どう使おうと問題は無いはずだ」
 彼はそのまま扉を開けて出て行く。残されたシャウラは、思わず頭を抱えて椅子にへたり込んだ。

 *

 天幕の布の目から太陽の光が漏れて来ていた。一瞬鋭い光が目を射し、眩しくて目を伏せる。
「喉が、カラカラだわ」
 干上がった喉を抑えて顔を微かにあげると、荷台の端に腰掛けている人影がこちらを振り向いた。
「あと一日で到着するからな。もう少しの辛抱だ。我慢してくれ」
 久々に顔を見た〈叔父〉は砂埃をまともに顔に受けて咳き込んだ。馭者も兼ねている彼の髪は、布を被っているにもかかわらず、すでに真っ白だった。自分の髪もあんな風だろうか。そう思いながらメイサは水を求めて目を彷徨わせる。彼が無言で指差した方向に水袋を見つけて引き寄せると、光と砂を避けるため布を深く被り直した。

 まるで荷物のように馬車に詰め込まれたのは数日前のこと。
 例によって酔いに酔いまくって、寝込んでいるうちに、空の色が金色に変わり、そして咽せるような砂嵐に揉まれた。そして砂漠の入り口の街で叔父と合流したのは一日前のことだった。
 そこでようやく多少の情報は得ることができた。まず、行き先はムフリッドだということ。そして叔父は護衛を兼ねて、メイサに付き添うことになったということ。思い返せば、シトゥラから王都へもそうやって守ってもらった。
 全身が砂でじゃりじゃり言っている。それから熱っぽい体を冷やしたい。水を浴びたくて堪らないけれど、外を見やっても砂しか目に入らなかった。どうやら、今回は急ぎなのだろう。宿も取らずに夜中駆けているらしい。
 エラセドからムフリッドへの道は二つあり、一つは大きく砂漠を迂回する経路、もう一つは砂漠を突っ切る経路だった。夏の今は迂回経路でないと旅慣れぬメイサたちには通行は不可能だった。まず穏やかな道でこれほど酔うようなメイサの体力では無理だった。
(シトゥラに今更戻ることになるなんて……)
 カーラのことを考えると憂鬱になる。この一年間で得た自由は何物にも代え難い。でも、スピカがルティの傍にいるところは見たくなかったから、丁度良かったのかもしれない。
 天井が闇を巻き込んでぐるぐると回っていた。耐えきれずに目を閉じる。
 王宮にスピカがやって来たことはすぐさま噂になった。そして新婚生活にはメイサも邪魔だったのだろう。メイサはルティの部屋を訪ねることを許されなくなった。一方的な別れにもメイサは文句を言える立場ではなく、ただ一人部屋に籠った。これでいい、泣くまいと思ったけれど、その時だけは無理で、翌日は腫れた顔を隠す為に久々に布を被った。
 追い討ちをかけられるように、先日から急に全ての仕事を取り上げられて王都のシトゥラ家別宅での謹慎となった。
 あの日──王妃の呼び出しで急いでいたところ、一人の男──近衛隊の制服を着ていたから一員なのだろう──の妨害にあった。男はやたらしつこかった。そして遠慮もなかった。どうしても話をしたいと言って、急ぐと言っているのになかなか解放してもらえなかったのだ。どうやらスピカが来たせいで、メイサに暇が出されると勘違いしたらしい。たまたま通りかかった近衛兵に助けを求め、その隙に必死で逃げ出したのだが、そのせいで辿り着くのが遅れたら、部屋の手前で追い返された。聞けば、遅刻のせいで不興を買ったと。それ以降の謹慎処分で、王妃からは連絡も無いし、当然会ってもらえなかった。
 そして、謹慎は解けないまま、一枚の薄い紙で解雇を告げられた。もう来なくて良いと。あまりにあっさりとしていたので、もしかしたら、あの時の呼び出し自体が、仕事の打ち切りの話をするためのものだったのかもしれないとメイサは考えている。なぜならメイサは一年で王妃が望む成果を全くあげられなかったから。仕事のできない娘はいつ追い出されても文句は言えない。
 そうだ。ついに認めてもらえずに追い出された。完全なるお払い箱で、元の惨めな籠の中の生活に戻されるのだ。
「お前には苦労をかける」
 鬱屈した顔をしていたのだろうか。叔父はそうメイサに声を掛けた。
「……」
 酔っていて口を開きたくないのもあったけれど、久々の会話だ、まず何と話していいか分からない。昔、叔父だと思っていた頃はメイサは随分懐いていたものだ。だけど、父だと知って二人の間には埋められない溝が出来た。メイサは未だに彼をどう呼んでいいかさえ分からないまま、今に至っている。
 出来るだけその傷を覗かないようにして来たし、叔父もそれを気遣って付かず離れずの適度な距離を保ち続けた。メイサが助けを必要とする時──なぜか風のように現れるのだ。今がその時なのかどうか分からないけれど、メイサがどこか安心できているのは事実だった。
(できればルティと行きたかったのに)
 そうであれば、どんな旅でも辛く感じなかった気がした。酔うことさえなかったかもしれない。そう思うものの、その場合は横にスピカがいることは確実だ。邪魔者になるのは辛すぎた。

「戻りたくないかい?」
「ええ」
 問われてすぐ、はっきりとした答えが出た。あの家がすべてだったのが今は嘘のようだ。
「そうか」
 叔父は少しほっとしたような顔をしている。嬉しそうなのが不思議で、メイサは尋ねる。「怒らないの? 私はシトゥラの娘であることを捨てようとしてるのよ?」
「それでいいんだ。母さんの言う通りにする必要は無い。皆シトゥラの今のあり方に疲れてる。いつか終わらなければならないんだ」
 叔父の背中が今は小さく見えた。昔はあんなに大きく見えていたというのに。
 もっと見ていたくなって顔を上げる。すると目眩がして、吐き気が上がって来る。メイサは小さく嘔吐いて傍にあった紙袋を握りしめる。
「お前たち・・がこの腐った鎖を切ってくれることを、俺はずっと願っていた。俺は色んなことに疲れてもう動けなかったから。情けないが、俺は十四歳の子供に負けたんだ。あのときも、何もしないでいることしか出来なかった。だけど、あの子は違う。自ら盾となることを選んだ。あのときに感じた。皆の本当の願いを──あの子は知っている。だからあんなに──」
 とりとめも無い話が続いていた。何の話なのだろう。あの子とは誰だろう。メイサは吐き気を抑えながら、聞き入り理解しようとする。けれど、聞きたいという意志に反して意識が遠のく。すでに体力は限界だった。
(こんな話をするとは思わなかった。一生、この距離は縮まらないだろうと思っていたけれど、ほんの少しだけ近づけたのかしら──)
 もっと話していたい──そう思ったのが最後だった。
 次に目を覚ましたときには、メイサはシトゥラの天井を眺めていた。──叔父の姿は消えていた。

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2010.10.10