14.昔見た夢 03

(シャウラさまは、まだ駄目だと言われるのかしら)
 彼が王都に残して来たやりかけの仕事。
 確かに王妃はメイサがいくら言っても諦めてはくれなかったから、ルティもそれなりに手を焼いているのだと思う。
「最後の壁って──?」
「彼の母親──つまり王妃さまよ。ルティが結婚を言い出したときから、ずっと反対しているの」
「あたしが気に入らないってことよね?」
 そう言って、スピカは持っている情報を整理し始めたようだった。メイサは曖昧に相づちを打って誤摩化す。さすがに本人を前には王妃のあの拒絶を教えられなかった。
 しかしスピカもラナと王のことはさすがに聞き及んでいるらしい。暫く何かを考え込んだ後、納得した様子だった。とくに傷ついた様子も無く、メイサはほっとする。
「そういえば、ルティはお母さんと仲が悪いの?」
 ふいに問われ、メイサは王妃と彼とのやり取りを思い返しながらゆっくりと答える。
「……うーん……いいとは言えないんだけど、悪くもなかったと思うのよね。ただ、この結婚だけは絶対許さないって、もうすごい剣幕で。それまでルティの事に関しては無関心っていうくらいだったのに」
 その件でどうやらカーラとも揉めていると聞いて、メイサはひどくびっくりしたのだ。今まで祖母に逆らう人間を自分以外には知らなかったから、余計にだ。
「ルティは──彼は、昔から王妃さまだけには逆らえなくって。彼女が嫌がっただけで何も出来ないの。おかしいでしょ? あんな偉そうにしてて、母には敵わないなんて。知ってる? あの子、女の子の涙に弱いでしょ。あれって、絶対母親のせい」
 それを言ったのは誰だっただろう、どこかの女官だったかもしれない。彼に泣き落としは厳禁というのは、王宮に流れる噂の一つだった。母親が泣いている姿を思い出して気が滅入るのだ、きっと。
「──あの方はルティの前で泣いてばかり居らしたわ。だから昔から苦手だったみたい。いくら慰めても駄目だって。母上は笑ってくれないって……小さな頃はそれでよく泣いてたわ。今からは考えられないけどね」
 それは本当に幼い頃の話。いくつだっただろう。五、六歳だっただろうか。まだ母親が恋しくてたまらないはずの時期だった。だけど、メイサに母親がいないことを知っていた彼は、メイサの前では泣くことを極力我慢しようとしていた。笑顔は無理だから、わざとしかめっ面をして誤摩化していた。目が赤くなっていたからすぐにバレてしまったけれど。
 昔が懐かしくなってついついしゃべりすぎてしまう。ふと気が付くと、スピカの目はまんまるになっていた。
「嘘よ、それ、絶対」
 今のルティを見ていれば、ある意味当然な反応だった。
「あの子も昔はね、純粋だったの。大事なものを普通に守ろうと思ってたのよ。だけどあの時を境に──」
 スピカはそこまで聞いても反応しない。ということはルティとメイサの関係に付いては聞いていないのだろう。
(あの皇子も言わなかったのね)
 もう〈あの夜〉にあったことは今になってはほんの些細なことでしかないのだ。ルティ本人も、この頃の態度を見る限りもう忘れてしまったのだろう。メイサだってあれは無かったことなんじゃないかと思うくらい、本当に小さな小さな出来事になってしまった。
「まぁ、それは、今はいいわ。とにかく、彼の一番の弱点は母親よ。彼女が認めれば、あなた達は晴れて夫婦」
 王妃によく似たスピカが泣けば絶対に手を出せないのだろうななどと想像して、僅かに胸が苦しくなる。慌てて感情が漏れ出るのを押さえつける。やっぱりそれ一つをとっても彼女は特別だった。
「──ちょっと待って。ね、ねぇ……メイサって、一体誰の味方……」
「私?」
 問われて、メイサは自分がまだふらふらと漂っていることに気が付く。
 ルティの想いを叶えてあげて、幸せになって欲しいと思う一方で、スピカにも幸せになって欲しい。その二つがどうも相容れないものだから、メイサもふらついてしまうのかもしれない。
 ただ一つ分かっているのは、メイサは自分の幸せについては諦めているということだけだった。決して自棄になっているわけではない。ただ、まだここから動き出せないだけなのだ。どこに行けばいいのか分からなくて、留まっているだけなのだ。
 しかし、メイサはもう昔のメイサではない。それもまた確かなことだった。カーラに縛られて動けないわけではない。今は弱って迷っているだけ。力を取り戻す方法だって、分かっている。今のこの状態から抜け出す方法だってもう知っていた。──多分、きっかけを待っているだけなのだ。そしてそれは、おそらく──ルティが幸せになって、昔のように微笑んだとき・・・・・・に訪れるのではないか、メイサはそう思っていた。
「私は誰の味方でもないわ。もう誰の言いなりにもなりたくないの。ただ自分がしたいようにするだけよ。今は……そうね、ルティが幸せならそれで良いの。彼、ようやく大事なものが出来たんでしょう? 彼が人間らしくなるのなら私は『従姉として』嬉しいわ。だから彼があなたが欲しいって言うんなら、私はそれを手伝うだけ」
 メイサは考えたことを出来るだけ彼女に分かりやすい形で口に出す。
「ただ、私、あなたにも同情もしてるみたい。あなたはやっぱりシトゥラの被害者だもの。あなた、今はもうここしか居場所が無いじゃない。他の道をルティに全部塞がれて」
 彼女はまるで昔の自分のようだった。閉じ込められて、希望を消されて飼い殺される。そうならない為の助言は、ここから飛び出したメイサしか出来ないのではないかと思った。
 スピカは自分の境遇を思い出したのか、その瞳の色をあっという間に淀ませた。
(あぁ、その顔。思い出すわね)
「最初にここに来たあの時も、あなたそんな風に何もかも諦めた顔をしていたわ。声も沈んでいて」
 灰色の瞳。美しいけれど、人形のように生気のない少女だった。
「でも、皇子さまに再会したときは、本当に幸せそうだったじゃない。私、あの部屋に連れて来られたあなたの声を聞いて別人なんじゃないかって思っちゃったもの。お腹に子供が居るって知ったときのあなたの顔を見て思いだしたわ。あなたはちゃんと笑えるはずなのにって。──私、ルティにも幸せで居て欲しいけれど、あなたにも少しでも幸せな顔をしていて欲しいわ。どっち付かずで変だって自分でも思うんだけどね……やっぱり、家族だからかしら?」
 家族、その言葉が妙にしっくり来て、メイサは微笑んだ。
 しかし、スピカはその言葉を受け付けられなかったようだ。僅かに首を横に振る。
「あたしは……シトゥラが嫌いよ?」
 メイサは即座に同意した。
「私もよ。だからあなたを助けてあげたい気もしてる」
 本当に変だと思うが、今のメイサにはルティとスピカ、どちらも選べなかった。
 だけど、もしメイサがスピカを応援しようと心に決めてたとしても、スピカがこれでは意味が無いのだ。彼女が幸せになれる方法は一つしか無いのに、それを手にしようとしていないから。
「でも、あなたは助かろうとしていない。だから可哀想だとは思うけれど、あなたがその気になるまで手は貸してあげないの。無駄は嫌いだし」
 スピカがこのままならば、メイサはルティの肩を持つしか無い。揺れるメイサの気持ちの行き先は、すべて彼女次第だった。
 しかし、突き放されたと思ったのか、彼女は顔色を変えて、あっという間に垣根を作ってしまう。
 スピカは震えながらメイサを睨み、威嚇する。
「あたしは助かりたいわ。──あたしをここから逃がして」
「逃げてどうするの?」
 メイサが問うとスピカは黙り込む。
「……この子と二人でジョイアでもアウストラリスでも無い所で生きていくわ」
 やがてスピカが出した答えは、そんな答えだった。メイサは呆れる。
(だから、なんでそこで帰ろうって気にならないの。あなたの帰る場所はあの皇子様のところだけなのに)
「ほら。あなた、結局そうやって無茶をするだけ。肝心なものから逃げてるだけなの」
「無茶? じゃあ、それ以外にどうすれば良いの。あたしは、この子を殺したくないだけ」
 はっきり言わなければ分からないのだろうか。メイサは仕方なくスピカがどうしても打ち明けない閉ざされた部分に切り込む。
「あなたがとれる道はまだあるでしょう。というか、それしかないのに、どうして見えないの。あなたが何をしたのかは知らないけれど、……皇子さまに謝りなさい。そして助けてって縋れば良いのに。不思議。どうしてそこに考えが行き着かないの? どうして皇子さまに頼らないの。彼はあなたの夫なんでしょう? 彼しかあなたを救えないのに彼に助けを求めないって……助かる気がないって思われても仕方が無いと思うけど。──あなたがその気なら私、手紙を出してあげるわ。そのくらいしか出来ないけれど、何もしないよりマシでしょ」そう提案すると、スピカは即座に否定した。
「無理よ。あたしが勝手にジョイアを飛び出したの。子供も放り出して。彼にはもうあたしが要らないの。だから国境を閉じたの」
(国境?)
 そう言えば、ジョイアと国交が途絶えているとは耳にしている。だけど、それは確か、アウストラリスの難民がジョイアで暴動を起こしたからではなかっただろうか。
「あなたは何をしたの」
 よく理解できず、メイサはもう一度問う。スピカが堅く閉ざした秘密の扉は開きかけていた。

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2010.11.02