16.家族として 01

 王妃は真実を告げるとそのまま倒れ、別室へ運ばれた。
「ルティ、君は『一族』を大事にするんだろう。『妹』の幸せを考えれば、僕に渡すのが一番のはずだ」
 皇子の声を聞きながらメイサはシャウラに付き添う為、席を離れる。皇子達はまだ会談の続きを行うようだけれど、もう勝敗は明らかだった。スピカはきちんと・・・・奪い返された。
 今後アウストラリスの誰もスピカを皇子から取り上げようとは考えないはずだった。
 ルティの妃でなく、他の王子の妃にするなんてことは、機密保持の点からシトゥラとしては有り得ないし、美しいだけの妃ならばあえて皇子から取り上げるまでもない。ましてや妃候補にまで名前が挙がった後では、今さらクレイルとして働かせても大した効果を期待できない。〈間者〉としては国内でも国外でも存在が知られすぎてしまっていた。じゃあ利用価値の無くなったスピカを最大限に利用するには、どうすればよいか。たとえ情勢に疎いメイサが考えたとしても、皇子が言うようにジョイアに嫁がせるのが最良だった。この婚姻により、確執が薄れ協力関係が得られるのならば、どれほど両国に利があるか分からない。

 ──ただし、一つ、気になることはある。彼らの子供の問題だ。
 そう憂うメイサの背にはまだ皇子が二人の男に交互に語りかける声が届いていた。「ルティ。スピカの子──ルキアは、僕の子供だ。……答えないなら答えなくてもいいんだ。この先黙っていてくれさえ居れば。もし違っても僕はそれを墓場まで持っていくつもりだ。──ルキアは、僕の子供だ。僕が一番、スピカを愛しているから、だから──。陛下。スピカは、あなたが愛した人の娘です。僕は、あなたがスピカの幸せを望むと、そう願います」
(ふうん、結構やるじゃない。これじゃ、陛下は申し出を断れない。断れば十七の子に男として負けてしまうことになるもの)
 自分以外の男の子を産んだ女を許せるか。そして産まれた子を愛せるのか。
 ──レグルスの子を産んだ、ラナを許せるのかと。そしてその子──スピカを愛せるのかと。問いを投げる前に、皇子は同じ立場に立つ者として、まず自分はこうすると示したのだ。スピカも許すし、ルティも許す。そして、子のルキアも愛すると。
 皇子が子供のことを逆手に取って王と交渉を始めたのを聞いてメイサは多少安心する。意外なほど皇子様は出来る男に成長しているようだった。子供子供だと思っていたらいつの間に。
(これなら任せても大丈夫かも、ね)
 メイサはスピカの再従姉として皇子を認めることにした。そして大きく息を吐くと、部屋を出て、扉を閉じた。


 憔悴したシャウラはなかなか意識を取り戻さなかった。
 夢の中でうなされているのだろうか、ひたすらに王の名とそれからルティの名を呼び続けた。
 メイサは彼女の手を握り、彼女の代わりに泣いた。
 愛する人を裏切り続けていることを知りつつ、どうしても言えなかったのだ。真実を話せば彼は去ってしまうから。
 彼女は決して王妃という地位が欲しかったのではないのだ。ラサラス王の妻でありたかっただけなのだ。それが痛いほど分かった。
「メ、イサ──」
「! は、はい」
 突然呼びかけられ、メイサは驚くけれど、それもまたうわごと。
「ルティを、……お願い」
 胸が跳ねる。メイサは眠ったままのシャウラの手を握りながら、しかし首を横に振った。そして以前と同じようにその役割を辞退する。
「私には、無理です」
 確かに先ほど全てが分かった。禁忌は禁忌でなかったことも。二人を遮るものはもう何も無いことも。
 カーラは昔メイサに言った。お前は結婚できないと。血が濃過ぎるからだと。
 だけど、そのカーラはルティとスピカの結婚を黙認しようとしていた。そして何より、メイサを造った・・・のはカーラなのだ。今改めて考えると、なんで禁忌に塗れた彼女の言うことを鵜呑みにして、ルティとは恋を出来ないと思い込んでいたのか分からない。そうやって心に鍵をかけられていたのかもしれない。

 しかし、そう知ったとしても、メイサは前には進めない。
 メイサの目には真実を知ったときの彼の横顔が焼き付いたままだった。メイサは知っていた。どれだけ、彼がスピカを欲していたかを。──驚愕の表情の裏には、欲しいものが決して手に入らないという深い絶望があったに決まっていた。


 晩餐の席は全く盛り上がらなかった。皇子とスピカは自覚があるのかは知らないけれど、ぴったりと寄り添ってなんだか二人の世界を作ってしまっている。カーラも気丈にも顔を出したけれど、それも挨拶程度で、早々に部屋に引き蘢った。当主の役目も、雑務も、なにもかも全部メイサに押し付けて。
 そして──少し離れた場所では、ルティが侍従さえ寄せ付けない刺々しい雰囲気で、ひたすらに酒を飲んでいた。この場から逃げないのはその高すぎるプライドが邪魔をしているのだろう。気持ちは分かるのだけれど、正直に言うとあれではいない方がましだった。存在自体が周りの人間に対する嫌がらせだ。
(あー、もう、皆勝手なんだから……)
 こんなバラバラのものをどうやって纏めればいいのか分からず、結局は一人痛々しいルティはあとで様子を見ることにしようとその場では放置することにした──というより、メイサは彼にどんな言葉をかけていいか分からなかったのだが。
 そして疲れ諸々から寝込んでいる王の様子を見に行ったり、シャウラの様子を見に行ったり。徐々に元気を取り戻した近衛兵にも食事を用意して、それから各客人の部屋の手配など、シトゥラの人間として・・・・・・・・・・有り得ないほどに働いた後、
(あれ、そういえば、私シトゥラから追放されてたような)
とようやく思い出す。もしかしたら追放の処分は無しなのかもなどと考えるけれど、だとしたら何なのだろう。シトゥラであろうと、無かろうと、すでにそのことではメイサは何も変わらない気もした。
 自分の立ち位置にしばし悩んでいるうちに「ルティリクス様が飲み過ぎで倒れられました!」と知らせられ、自分のことなどどうでも良くなった。
 潰れたルティを、廊下でうろうろしていた近衛兵に頼んで部屋まで運んでもらうと、当主代理として嫌々ながら二人の世界にいる皇子に酌をしに行く。彼らは既に食事を終えていた。会話が無いからあっという間に食べ終わってしまったらしい。ついでに隣のスピカの皿をちらと見て驚く。
(あ、少しは食べられたんだ)
 どうやら、皇子は悪阻の特効薬だったらしい。そのことに安心して、メイサは軽く微笑んだ。
「あなたたちも戻れば? 部屋、用意してあるから」
 そう言って部屋に案内しようとしたら、イロボケ皇子がすかさず確認した。
「一緒の部屋だよね?」
「違うわよ? あれ、スピカ、あなたまだ言ってないの?」
 なんだかやる気満々な彼に驚いて、メイサはスピカを見た。
「え、あ、そうだった」
「一緒にしてくれる? 夫婦なんだから当然だろう?」
「……」
(ねえ、また人の家で頑張るわけ?)
 呆れてものが言えずにいると、スピカがおどおどとした様子で皇子に訴える。
「えっと、あのね、シリウス」
「そうだ、言っておかないとって思ってたんだ。もう僕は君に遠慮しないから。──帰ったら寝室は一緒にするからね。それからサディラには残ってもらって、ルキアは預けて……」
「あ、あの……」
 勢いに圧され軽く身を引くスピカの耳たぶを皇子は引っ張る。そしてそこにある黒い耳飾りをじっと見つめて、彼女の気持ちを問う。
「もう確認するまでもないと思ってたけど、──君、僕の事、愛してるんだよね?」
「あ、あのね、シリウス」
「愛してないの?」
「や、えっと、違うの。愛してるに決まってる。……でも」
 突如目の前で始まった異常に恥ずかしい会話に、「あ゛ーーーー!! もう!」さすがにメイサは切れて奇声を上げる。まったくどうしてこの子たちは!
「部屋に戻ってからやってよね、そういう恥ずかしいのは!! 見てて痒い!」
 思わず手が出ても仕方が無い。再び頭を叩かれた皇子はメイサを軽く睨んで訴える。
「ねぇ、僕一応ジョイアの皇太子なんだけど」
「そういうところ見ると、前と全然変わってないじゃない」
(まぁ……さっきは見違えちゃったんだけど……)
 やっぱりあの異常に冴えていたジョイアの皇太子──あれは見間違いで、犬は犬だったとメイサは考えを改めた。しかも今は盛りが付いてて手に負えない。
 犬にスピカをやっていいものかと悩んだところ、
「め、メイサ、お願い、助けて。だって、」
 泣きそうな声にふと見下ろすと、スピカが縋るような目でメイサを見ていた。
 その瞳の中に葛藤が渦巻いているのを見つけて、メイサは妙に納得した。
(そっか、スピカは拒みたくないわけね? 思い切り抱きしめられたいのよね?)
 しかし、今の彼女の体調では彼の受け入れは不可能だった。そしてそう告げた時の彼の反応を考えると──メイサは吹き出しそうになった。男の格が問われる場面である。喜びと落胆、さて、どちらが大きいか。
(まだまだ落胆が大きそうよねぇ)
「助けてって……人聞きの悪い」
 現に皇子はスピカが拒む理由がまったく分からない様子で、戸惑っている。メイサがここで言ってあげてもいいけれど、夫婦の大事な会話を横取りするほど野暮にはなりたくなかった。皇子の反応が見れないのは──少々勿体ない気もしたけれど、それは後でスピカに聞こう。
「自分で言いなさい、そのくらい」
 そう言うとスピカはしゅんとしょげてしまう。
(あーあ。どうして皇子の前だとこんなに可愛くなっちゃうのかしら、この子は)
 メイサはそう呆れつつも、こうして素直になれた彼女が心底羨ましかった。

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2010.11.17