16.家族として 02

 皇子にスピカを託すと、メイサは大きくため息をつく。そして軽く支度を整えて、先ほど近衛兵に運んでもらった男の元へと足を進めた。
 部屋では燭台が一つ火を灯しているだけ。薄暗かった。そしてひどく酒臭い。テーブルの上には酒の壜が数本転がっている。潰れたくせに、また飲んだらしい。メイサは来て良かったと思いつつ、持参した壜からグラスに水を注ぐと、長椅子に埋もれている男の横に寄り添った。
「水です。ほら、飲み過ぎですわ」
 侍女のふりをして言う。
 ルティは薄く目を開ける。そしてすぐに文句を言った。
「……〈女〉をよんでくれ。なんで男に運ばせた」
 言うと思っていた。分かっていたから男に運ばせたし、分かっていたからメイサはこうしてこの部屋に来たのだけれど。
「いるではないですか、ここに」
 ルティはメイサを見上げると、戸惑ったように首を振る。
「〈お前〉は抱けない。お前だけは抱けない」
 ぐでんぐでんに酔っているのに、なぜか誤摩化せなかったらしい。これだけ正体を無くしていても駄目というのは、やはり傷つく。
 仕方が無いので、メイサは自分を偽ることを諦める。
「どうして。私たちは従姉弟じゃなかった。それならば問題ない。私もシトゥラの娘だし、心得てる。他の女と同じように抱けばいいわ。女が必要なんでしょう? 今夜はお客様が多いから、他は皆出払ってるの。私で我慢しなさい」
 メイサは彼を放っておけなかったし、今日のルティを慰めるのは他の女に任せたくなかった。たぶんスピカを知らない他の女では彼は癒せないと思ったから。
「我慢? 何を言っているんだ? 抱けないというのは、そういう意味じゃない。──大体さ。お前、俺と寝てもクレイルは手に入らないんだからな?」
「はぁ? クレイル?」
 脈絡の無い話に、飲み過ぎで頭が壊れたんじゃないかとメイサは心配になる。彼の口の前に水を突きつけるけれど、撥ね付けられた。
「お前が誰かと寝ようとするのは、大抵クレイルが絡んでるだろう? あのまぬけ皇子に、アステリオン、──ヨルゴスもか?」
 今さらクレイルという言葉が出て来るとは思わず、しかも、なんだか妙な誤解をされているようでメイサは戸惑った。
 とろんとした茶色の目が、まっすぐにメイサを見つめる。
「いい加減目を覚ませ。クレイルなんか冗談じゃない。あんな最悪な仕事、好き好んでする馬鹿がいるか。いいか、汚れるのはオレの役目だ、お前じゃない。オレは……これ以上お前を汚すわけにはいかないんだからな」
 酔っぱらいはろれつの回らない口調で言う。彼の口から漏れ出た本音に、メイサは信じられない想いだった。
「誰が汚れてるって言うの」
 ルティは黙り込む。そしてやがて何かを恐れるようにして尋ねる。
「汚れていない? お前は、オレに汚されなかった?」
 それを聞いて、まさか、と思う。メイサは彼がこんなにもあのときのことを気に病んでいるとは思わなかったのだ。
 まさか、それで、メイサに仕事をさせなかったのか。傷ついた──自分が傷つけたメイサの代わりに、汚い仕事は全部ひきうけようとして。
 その様子に昔の彼の姿──方法はどこかずれていたけれど、いつだってメイサを喜ばせようとしていた優しい少年の姿が重なって胸が詰まる。
(なんだ、この子、昔と全然変わってないじゃない)
 それならば。
 それならば、メイサも昔と同じように、姉のように彼を慰めてあげるのだ。彼が望む方法で。──今夜だけは。
 メイサは迷いを完全に捨てて、覚悟を決める。そしてルティにそっとキスをすると、彼は大きく震えて目を見開いた。雷に撃たれたような顔だった。今まで散々して来ただろうに。慣れているはずの彼にはそぐわない、初めてのキスに戸惑う少年みたいな顔に、メイサはくすりと笑って思い出す。
(ああ、確かに私たち、キスは初めてかもしれない。変なの)
「馬鹿ね。あんなのかすり傷よ。それから、私、もうクレイルは随分前に諦めてるわよ? 今日は単にスピカの代わりにあなたを慰めてあげたいだけ」
「────スピカ?」
 呆然としていたルティはその名に僅かに眉を寄せ、怪訝そうな顔でメイサを見た。励ますように頷く。
(そう。今夜だけなら誰も咎めはしない。──代わりになってあげる。あなたの愛した女の子の)
 これから先はきっと姿が見えない方がいい。完全には消せなくても、せめて色だけでも。その方が彼の為には、いい。息を吹くと、部屋の燭台の火が音も無く消えた。訪れた薄墨色の闇の中、メイサは彼の瞳だけをじっと見つめた。

「──ほら、酔っぱらいさん。さっさとしなさい。夏の夜は短いのよ」

  *

 想像以上に激しかった。優しいと聞いていた。メイサはそれは嘘だと思った。

「待て。代わりじゃ意味がない。そんな理由でお前と寝たくない」と、なぜか強がって必死で拒む彼を、「分かってる。でも贅沢言うんじゃないの」そう言って、いくつかの口づけで黙らせた。誰もスピカの代わりになんかなれないのなんて、メイサはずっと前から知っていた。だけど体だけなら、きっと何とかなる。体だけならば、入れ物だけならば、メイサは自分の持つ物に少しは自信があったから。
(でも、出来ればもう少し華奢だったら良かったのに)
 スピカと比べて育ちすぎた体を僅かに呪いながらも彼の首に腕を回そうと手を伸ばす。
「分かってない、──お前は全然分かってない!」
「分かってるって」
 撥ね除けたいけれど、酒のせいなのかうまく力が入らないようだった。彼はメイサが近づいた分だけ後ずさりをした。やがて追いつめられた彼は長椅子から転げ落ちる。
 珍しく焦っている彼が面白くて吹き出す。こんな風に少年めいた顔はあの皇子に似てる。言ったらどちらにも怒られそうだけれど。
(そうそう、こんな顔をされると虐めたくなるのよね)
 そんな風に思いながら、床から見上げてくる彼の目の前で、躊躇いも無く服を全て脱ぎ捨てた。そして、目を見開いたままの彼にのしかかると服の前を開けさせる。筋張った大きな手をとって、自分の胸に乗せると、ルティはじりじりとした後ずさりを止めて完全に固まった。
 メイサはとにかく自分のしたいようにした。だってずっと触れたかったのだ。触れて欲しかったのだ。書で学んだようにはいかなかったけれど、以前「誘惑しろ」と言ったときと違って、彼はあきらかに揺れていた。今夜は上手く出来ている気がした。
 その後、メイサは彼の唇をひたすらに求めた。口を開かせれば「馬鹿」とか「止めろ」としか言わないのだ。でも欲しがってるのは明らか。うるさくて敵わないから黙らせる。
 深く口づけると、口の中に残る強い酒が移る。もし酒が無くても彼の唇は十分メイサを酔わせたと思えた。
 酒がメイサに馴染んでしまう頃には、抵抗は完全に止んだ。そして「本当に分かってるのか? もう──泣かないか?」と尋ねられる。メイサが頷くと、限界だったのだろうか──彼は急に堰が切れたかのようになって自分から彼女を求め始める。メイサはそれに流された。ベッドに行く余裕も無い。もう何も考えられなかった。

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2010.11.19