16.家族として 03

※文中に性描写があります。苦手な方はご注意ください。


『メイサ』

 * * *

 何か呼びかけられたような気がして、目を覚ます。
 酔いも手伝った。少しだけ意識が飛んだようだった。最後に見た時と星の位置が変わっていた。二人はいつの間にか寝台にいた。
 軽い頭痛。酔いはまだ残っているらしい。メイサは普段酒を飲まないものだから、余計に刺激が強い気がした。シトゥラの紋章が天井でくるくると回る。思考がいまいちはっきりしない。
 体は暖かいものに包まれている。というより、今は夏だ。夜は冷えるとはいえ、正直暑いくらい。
(あ、れ? ええと、私)
 いきなり胸の頂を強く吸われ、その痺れるような甘い刺激に我に返ると、ルティがまだメイサの上にいた。
(ああ、夢じゃなかった──)
 彼女は再び体の上で忙しく動きはじめるルティの頭を見つめた。堰が切れた後の彼は本当に夢の中にいるようだった。夢の中の少女に、もう夢の中でしか抱けない少女に──夢中だった。
「もっと早く手に入れていれば良かった。今頃になって分かるなんて──俺は馬鹿だ」
 そう祈るように言いながら、彼はメイサの体に痣を付けていく。いくつも、いくつも。あのときスピカに付けた所有の印がメイサの上にどんどん舞い落ちて、彼女は胸が痛くて息が出来なくなる。
(ああ、やっぱり、さっきは余裕が無かっただけなんだわ)
 メイサもそれどころじゃなかったことを思い出して、覚悟する。ってことは、これからが本番なのだ。こんな風にスピカの代わりだと知らしめられるのは。
 まずは愛の言葉。そして、次に所有の印。彼がそれを付けるのは、やはり愛の印だったと知る。
(それほどに、好きだったんだ)
 そしてその相手は絶対に手に入らない。可哀想になるけれど、今一番可哀想なのはやはり自分かもしれない。スピカの代わりなど申し出なければ良かった。でも今日を逃せば、おそらく次は無いことも知っていた。これほどに彼が弱って我を失うほど酒を飲むことも無いだろう。目先の欲に流された自分を悔いるけれど、もう後戻りは出来そうにない。
 泣かないと約束した。必死で涙を誤摩化しながら、メイサは目を瞑る。彼の瞳の奥に映っているであろう少女を知りたくはなかった。
「本当に、馬鹿ね」
 私も、あなたも。
 赤い髪を撫でて、胸に抱く。
 妹だと知ってしまう前ならば、手に入ったのかもしれない。禁忌は過ぎてしまえば、無かったことになる。そう、メイサのような子供でも、作ってしまえばよかったのだ。それほどに欲しいのならば。彼の力を持ってすれば、その事実はもみ消せるのだから。
「愛してる。こうやってもう一度抱きたかった。ずっと忘れられなかった。でも誤摩化してた。二度と傷つけるのは嫌だった」
 彼は腕の中の幻影に向かってそう言う。もうメイサには答えられない。胸が詰まって何と言っていいか分からなかった。彼はメイサのそんな様子に、言葉を詰まらせると、激しく口づけてきた。
(もう一度、か)
 あのあとスピカに真実を聞くことは出来なかったけれど……やっぱり関係はあったんだと、胸が痛いだけでなく、重くなる。じゃああの皇子とスピカは一生その重みと戦わねばならないのだろうか。スピカの産んだ子がルティの子供である可能性と半分。それも可哀想だ。
(でも、皇子は戦う覚悟をしていた。だから大丈夫。彼らはきっと乗り越えていくはず。それより……)
 今回のことで一番傷ついているのはどう考えてもルティだった。一晩くらいこんな風にスピカの幻を求めても誰も責めないと思う。
 そして、その彼女の代わりはやっぱり自分にしか出来なかっただろう。スピカを知らない他の子が今のような彼の言葉を聞けば勘違いしてしまう。自分が愛されているような錯覚を抱いて、そして溺れてしまっただろう。
 いつしか口づけは止み、彼はメイサの胸に頬を埋めていた。ただ静かに、メイサの胸の音を聞いていた。
「言ってくれ。俺にも。頼むから」
 彼が胸の中でそう言う。その口調には恐れが含まれている。拒絶を恐れる響きに、メイサはやはり同情を禁じ得ない。スピカが愛してるのは、あの皇子だけ。彼女の口からもしその言葉が出たとしても、それは家族愛でしかない。でも今彼にはどうしても必要な言葉に思えて、メイサは前置きをして口を開く。
「今夜だけよ」
 今夜だけ。今夜だけで立ち直って。もう二度とは代わりは無理だから。そして彼を愛している女にはこの役目はきっと無理だから。
「え?」
 戸惑いを含んだ声に、メイサは被せるように言った。スピカの代わりに、そう思いつつも溢れたものは自分の想いだった。

「──愛してるわ」

 届かないと知りながらそう言うのはなんて苦しいんだろう。そう思った。
 直後ルティはメイサをかき抱き、再びメイサを求めた。先ほどはまだ遠慮があったのだろうか。それが消え去り、さらに激しくなった行為に驚く。まるで初めてのあのときみたいに、余裕も無く求められ、耳で聞いていた情報と余りに違うことに驚く。彼が酒を飲んでいるからなのだろうか。それとも相手がスピカだと余裕が無くなるのだろうか。
 部屋には言葉と呼べるものはすでに無かった。
 激しく揺さぶられて、メイサは考える余裕を無くしていく。体が求めるまま、自分から脚を大きく開き、声をあげると、さらに彼は中を探った。目の奥で火花が散る。夜明けが近いのだろうか。この部屋は暗いはずなのに、視界が白く開けていく。何かに、大きなうねりに呑み込まれる。強烈な波に引きずられそうになり、堪らずメイサはその背にしがみついて大きく叫んだ。
「あ、あぁっ────」

 *

 メイサは体に絡みついた腕をそっと解く。そして寝台から起き上がり、床に落ちた服を身に纏いはじめる。

 夜が明けても続くかと思われた情事だったけれど、さすがに重度の酔っぱらい。先ほど四度目を仕掛けようとした途中で(まああの状態でそこまで頑張ったことが驚異的なんだけれども)、突然意識を失ったように眠ってしまった。遊び疲れた子供みたいな寝顔で。

 部屋はほんのりと明るくなっている。柔らかい光で自分の体を確かめたメイサは、まず目を見張り、その後大きくため息をついた。
 体に痕を付けられているのは知っていた。でもあれがこんな風になるなんて知らなかった。知ってたら止めていたのに。
 これは何日経てば消えるのだろう。全治一週間? あれだけ強く吸われれば当然なのだろうけれど、全身に付けられた紫色の痣が、痛々しいくらいだった。
(なんでこんなにひどいの? 赤いってより、黒いくらいじゃない)
 これではちょっと人前で服は脱げない。今のところ、脱ぐ予定も無いけれど。
 メイサは枕元に残るものを見てさらにため息をつく。そこには使用されなかった避妊具がぽつんと放置されている。メイサが持ち込んだものだ。結局メイサは昨晩三度ほど彼の腕に抱かれたのだが、最初の方は結局二人ともそこに考えが行き着く余裕が無かった。三度目で思い当たり、今さらと思いつつ、恥ずかしくて死にそうになりながら訴えたけれども、涼しい顔で断られた。熱烈な愛の言葉付きで。もちろんスピカへのだ。

『お前相手には避妊なんかしたくない。完全に繋がりたい。確かに……子供はまだいらないけど、あの馬鹿皇子の気持ちがちょっとわかるかもしれない。お前との子供なら悪くないな。うん、そうだ。子供がいればお前はあちこちふらふらせずに俺の元にいてくれるだろう?』
 酔っぱらいは堂々と言い放った。すでに胸は痛むのを通り越して麻痺していた。メイサはもう笑うしか無い。
(あーあ。皇子様も王子様もスピカを目の前にすると、子供を作りたくなるのね……。スピカはいい子なんだけど、恋敵にするにはほんとうに嫌な子)
 結局彼は子づくりを拒むメイサを押さえつけて、再び文句が言えないくらいになるまで高みに登らせた。その後意識のあやふやなメイサの中で、勝手に果てた。その感覚に我に返り、青くなって「馬鹿」と怒ったら、心底幸せそうな無邪気な笑顔に口を封じられた。
(まったく、これは一体だれよ?)
 やれやれと思いながらメイサが予備で持って来ていた例の避妊薬の壜をとると、彼はその正体を知り「なんでこんなもの持ってるんだ」と笑顔を消し、不満げにそれを取り上げた。本当かどうか知らないけれど、「俺はこれが嫌いだ。子を流す薬だぞ? 体に大きな負担がかかるんだ。緊急時だけにしろ」と酔ってるくせに真面目に諭され、緊急時って今じゃないならいつよ?と思いつつ、スピカの振りをしている手前どうしても取り返せずにその場では飲まずにすませたのだけど……。
 床に転がっている壜を拾う。蓋を開けて中の丸薬を手のひらに出してみるけれど、彼の言葉が頭の隅をよぎってすぐに仕舞った。メイサも王の血を引く子は殺せない。それ以上にルティの子ならば殺せないと思った。
(子が出来ていたら、そのときは、どうしよう)
 皇子から逃げたスピカのことを馬鹿だと思ったけれど、自分もあまり変わらない行動をする気がした。

 とりあえず、素面の彼に顔を合わせることは出来ないと思った。普段を考えると、彼がさっき晒したのは確実に醜態だから、朝起きて隣にいるメイサを見たらきっと彼は後悔する。やっぱり他の女に任せなくて良かったと思いつつも、彼の顔を見るのが怖かった。浮かべるのは困惑か、落胆か。そんなもの見れば、もうそれ以上顔を合わせることすら出来ないかもしれない。これからの付き合いを思えば、酒でもたらされた夢は本物の夢にするのが、大人の正しい対応だと思えた。
(今夜のことはルティの夢。私の胸の中だけにしまっておこう)
 メイサは寝台に一人眠る彼を残すと、怠い体を叱咤しながらも細心の注意を払って情事の痕跡を〈完全に〉消した。

 片付けを終え、部屋の外で大きく息を吸う。廊下は寝静まったまま。東の窓から見える地平線から膨らんだ焔色の太陽が顔を出し、照らされた大地はまるで金をふり撒かれたかのように輝きだしていた。
(満足、よね。想いを告げて、そして一晩だけでも、彼の腕に抱かれた。望みは叶った)
『愛してる』
 うわごとのように呟く彼の声が耳に張り付いたままだった。
 情熱的な声が蘇る度に鼻の奥がつんと痛くなる。
 あれではいくら待っても、どうしても彼の一番になれないだろう。それを知りつつ想うのは辛過ぎる。それならば、この一夜の夢を思い出に、潔く彼を諦めよう。そしてただの従姉──いや、家族に戻るのだ。
(家族、それもいいじゃない?)

 不思議なほど穏やかな朝だった。再び歩き始めるのには丁度良い、とてもいい朝だ、そう思った。
 メイサはもう一度冷たい空気を胸一杯吸込む。そして。
 それと同時に、彼への長年の想いを断ち切った。

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2010.11.21