17.ささやかな復讐 02


「君はスピカを抱いていない」
 その言葉に目を上げると、目の前ではシリウスが一人で喜々として持論を展開していた。
「何だ、今頃。あれだけ格好つけておいて」
 結構あっさりと言い当てられていた。まあ、ルティにとっては、もうどうでも良いことだった。スピカが妹でなくても、あの頃、そんなに不自由はしていなかったし、無理矢理に抱く必要は無かった。そういう嗜好はルティには無い。泣く女は苦手だった。彼のタイプだったのは──死んでしまったが、ミュラといったか、あの娘を好んでいたように思える。今思い返せば体つきがメイサに似ていたからか。体以外は随分不愉快な娘だったような気もするが、実質彼が死なせてしまったようなものだ。今は、美点しか思い浮かばない。
 ぼんやり考えるルティを放っておいて、シリウスは続ける。
「ほんと、今頃だ。バカみたいだけど、思いつかなかった。最初からスピカに話を聞いてればよかったんだ。──もしそうだったら、僕が気が付いてるに決まってるのに」
 あの夜、逃げ出して凍死しかけたスピカをルティは自らの体で暖めた。そして、その回復直後・・・・に、また逃げ出そうとしたから、牢に閉じ込めたのだ。この男がそこにいるとは知らずに。
 どうやら、その時のことがようやくいろいろと結びついたらしい。──が、喜ぶのは早いとルティは思う。
「どっちでもいいんじゃなかったのか」
 馬鹿馬鹿しくて呆れる。というか、自分で言っているが、馬鹿だ。やっぱりこいつは。
 避妊もせずに子供が出来るような真似をすれば、当然そういった痕跡が残る。さすがに直前に何があったか気が付くだろう。が、避妊してる可能性は考えないらしい。
 子供のこともそうだが、他にもいろいろ面倒だから、基本的にルティは女に痕跡を残さないが、スピカに対しても同様だった。必要を感じない。それをこの皇子は自分が都合の良いようにとらえている。
 スピカに付けられていた赤い痕を思い出してルティはうんざりする。攫って来たらいつも何らかの痕跡が残っていた。最初も、二回目も。攫って数日経っているというのに、消えないくらいのものが。正直あれで萎えたと言ってもいい。スピカを風呂で磨かないと触れるのも不愉快だった。しかも二回目は腹に子まで居た。最悪だ。
 ──つまり、この皇子は女に印を付けるのを当然だと思っていて、その上避妊など考えもしないからルティの嗜好が違うという可能性を考えつかないのだろう。
(だから次から次へとぽこぽこ出来るんだ、馬鹿め)
 避妊してやったからって言ってやろうか──そんな意地悪なことを考えるが、当然黙っている。言って皇子をどん底に落とすのは楽しいが、そのことを言えば彼はそうだと決めつけるだろう。単に論理の穴を埋めたいだけなのに、誤解を招けばさすがにスピカが哀れだし、彼も今さら妹に手を出した鬼畜扱いはされたくない。知れば、スピカを可愛がっているメイサは口をきいてくれなくなるだろう。今まで以上に。あの程度のことでそう思われるのは心外だ。
 そんな風に考えるルティにシリウスは晴れ晴れとした笑顔を見せる。
メイサ・・・が教えてくれたんだ。その疑わしい夜について。今更かもしれないけどって。何も気が付かなかったのって聞かれて、思い当たった」
(なんだって? ──連絡を取ってるのか?)
 名に反応して、自分の顔が引きつるのを感じる。当の皇子は全く気にしないで話に熱中しているが、その疑わしい夜についてなら、ルティの方が知りたいことがある。
(お前は────メイサのあの誘惑を受けたんだよな? で? そのあとは?)
 ルティは思い出す。昔一度メイサの誘惑を受けた。自分が勢いで煽ったものの、あの頃は自分がそんな感情を持っているとは思いもしなくて、単に計画の邪魔をして欲しくなかっただけなんだが──口づけをせがむ顔には正直参った。あれはヤバかった。彼女が目を開けなければ、押し倒したかもしれない。あれが計算でないところが恐ろしい。しかも避妊薬を持たずに仕事をしようとしていて──いや持っていたら取り上げて仕事ができないようにしようと思っていたのだが──呆れて腹を立てた。
 メイサはクレイル欲しさにあの初々しくも艶かしい誘惑をしたはずだった。
(だとしても、この女に免疫の無い皇子なら……しかも、スピカを忘れた状態だったし……)
 自分がキスを我慢できそうになかった事を思い出すと、このふぬけはそれ以上、もしかしたら最後までやってしまったかもしれない──そこまで考えると、脅迫めいた言葉で責めたくなった。もしそう耳にすれば今ここで殺すだろう。けれど、無駄に高い自尊心が邪魔して言えなかった。散々馬鹿にして来たこのふぬけ皇子と自分が並ぶのは許せない。
 ルティは自分とスピカのことは、あえて棚に上げたままに考え続ける。
 第一、もし何かあったとしてもこいつは言わない。言えばスピカに逃げられることが分かっているから。それですめばまだいい方だ。あの妹は──正直過激だ。顔も体も割と好みだったが、あの気性だけは苦手だった。今思えば同族嫌悪。誰に似たのかと考えると、当然母親だ。あの過激さを見ていると、まぎれも無く自分たちが兄妹だと納得できる。
 それはいいとして、今はメイサのことだ。
(あー、むかつく。こいつ見てるとどうしようもなくむかつく)
 ルティが必死で手に入れたものを運だけでかっさらっていく。何も考えていなさそうなのに、易々と正解を導き出す。こういうのを天才肌とでも言うのだろうか。
 そう考えるとやはり少しは苦しめと考えてしまう。ルティが今苦しんでいる分を少し分けてやったらいい。

(くそっ)
 思い出して毒づく。ルティが苦しんでいる原因は──メイサの首筋に見つけた毒々しいほどの赤い痕。自分が付けたことが無いから分からないが、あれはおそらく情事の痕だ。スピカにシリウスが付けたものと色は違うがよく似ていた。──あのメイサが男と寝た。その事実でルティはこの二月ほどずっと腐っている。
 彼女の痕を見つけたのは夢を見た三日後。一瞬、もしかしたらあれが夢でなかったのではないかとも思ったけれど、あの朝起きたときに彼女は隣に居なかったし、部屋には何の痕跡も無かった。自分の体を調べても情事の名残はまったく残っておらず、寝台の乱れも普通だった。まず、三日後・・・なのだ。今付けられたと思えるくらいに鮮やかな赤はそれを否定していた。
 狂うかと思った。思わず「それはなんだ」と問いただしたら「お仕事よ」と変に硬い声が返って来た。
 その時には自分がどうしてあれだけの妨害をしたかが理解できていた。メイサには男と寝るなんて無理だと思っていた。だけど結局は単純に彼女が男と寝るのが嫌だっただけなのだ。でも、あれだけ注意していたのに──僅かに気が緩んだ隙を突かれてしまった。
「ババアか。相手は誰だ──どっちも殺してやる」
 思わず呟いたけれど、慌てたメイサに止めてと乞われた。自ら望んでやったのだと諭された。そして「これからは私も〈役に立てる〉から」と自信を取り戻した魅力的な顔で微笑まれた。つまり──仕事の邪魔をするなと、こちらが牽制された。
 そしてメイサは痕を見つけた日以降、ルティの言うことを一切聞かなくなった。自分の頭で考えて行動し始めた。決して彼の言うことを鵜呑みにしなくなってしまった。
 そんな風に振る舞う彼女は、以前とは比べ物にならないくらいに輝いていた。蛹が蝶になるというのはああいうことなのだと、自らの目で見て知ってしまった。思わず「自分で考えろ」と彼女を鍛えた自分を呪った。あれではもういくら地味に装っても隠しようがない。
 彼女はルティが今までのように話しかけても、軽く躱してしまう。必要以上の話をしようとしない。公務で城に戻ると言ったときにも「ああそう」とあっさりとしたものだった。夢の中の彼女と随分違う対応に、あれはやはり自分の都合の良い夢なのだと打ちのめされる。
 あれ以来女に誘われてもまったくその気にならない。メイサしか欲しくない。そっちはもう腐っていると言っても良い。
 目の前では皇子が吹っ切れた清々しい笑顔を浮かべている。スピカが自分だけのものだと確信して男としての独占欲と征服欲に浸っている。自分と比べるとどれだけの差だろう。彼のメイサは今このときも男と寝ているかもしれない。彼の妨害は羽ばたき出した彼女には通用しなくなってしまったから。
 急激にルティは自分だけが悩んでいるのが馬鹿らしくなる。そもそもこいつのせいで計画が台無しになったのだ。道連れにしようと彼は仕掛けるいたずらを練った。
(ああ、そうだ。じゃあ、あとで、スピカのホクロの位置とか、全部教えてやろう。あとどこが感じやすいかとか──)
 いっそ、さっき考えたみたいに避妊したと言ってもいいし、実は移動の馬車の中でヤってたと言っても、この男は信じる。馬鹿だから。
(ああ、でも割と簡単で害のないヤツにしておかないと、自分の首を絞めることになるのか)
 ほくほくとしている皇子を前に、いろいろあくどい想像をしてにやりと笑うと、中庭の中央を見つめる。
 そこではそのスピカが息子のルキアを連れて秋の日差しの中で微笑んでいた。

『──ルキアノスって言うんだ。息子の真名は』
 先ほどこの皇子は、そうぽつりと呟いた。スピカもルティに教えることに異論はなかったそうだ。伯父だから、家族だから、そんな理由で。どこまでも甘い。だが──先に心を許す。先に相手を信じてしまう。その姿勢が人の心を動かしているのかもしれない。それはルティには無いものだった。
 メイサがこの皇子のことを何度も良く言っていたことを思い出す。特に、気になるのはあれだ。
『あの皇子様は誠実だったわよ。結局、誠意のある男・・・・・・には敵わないんだから。絶対に』
 どうやらルティに確実に足りないのは〈誠実さ〉のようだ。

「──誠実って、一体なんだ?」
 もちろん意味は分かるし、ルティは常に自分の信念に対しては誠実だった。が、どうすれば周りから誠実に見えるのかは分からない。
「何? 何か言った?」
 振り返った皇子はへらへら笑っている。ルティはその能天気そうな間抜け面にため息をつきつつ、スピカたちの方へと足を進めた。
(俺が、こいつに劣るだと?)
 負けず嫌いの彼は、いくらいいお手本になったとしても、新しく出来た義弟・・を真似ようとは決して思わないのだった。

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2010.11.24