18.王位を継ぐ男、光を継ぐ女 02


 それは突然部屋に呼びつけられ、すぐに言われたことだった。シャウラは何か聞き間違いかと思い問い返す。
「え、でもあなた……」
「いや、もう、俺は疲れた」
 その青い瞳は相変わらずシャウラを映さぬままだった。
 ラサラスは部屋の中央に置かれた広い寝台にごろんと転がったまま、繰り返す。
「ルティリクスに王位を譲る。あいつの方が向いてるだろう、どう考えても。俺が二十年かけて出来なかったことを一年でやるようなヤツだ。よく出来た息子だな」
 シャウラは立ち尽くしたまま肯定も否定もしない。ラサラスは単にやる気が無かっただけだと思うからだ。それも全部シトゥラのせいで。
「王位なんてもともとは欲しいものの為だけに手に入れたのだ。まあ、俺は何が欲しいのか分かっていなかったみたいだが」
「……」
 シャウラは俯いて黙り込む。そんな風にラナのことに触れられるとどう反応すれば良いか分からなくなる。
 彼はシャウラを未だ責めはしないのだ。それどころか、シトゥラにも咎は無い。だからこそ、その話が出るたびについに来たかと落ち着かない気分になった。
 こちらから王妃の立場を返上しようと提案しようか、そう思うものの、どうしても言い出せない。未練はあまりに大きかった。
 見下ろすと、握りしめた自分の手がふるふると震えているのに気が付いた。抑えようとぎゅっとさらに握ると震えはさらに大きくなる。
「……ではいない」
「え?」
 小さな声を聞き取れずに聞き返すと、
「とにかく、ルティリクスにそう伝えてくれ。俺はアイツは苦手だ」
 ラサラスは声を大きくしてそういい直した。
「またそうやって全部私に丸投げされるのですか?」
 その点に付いて何も変わらない彼に少々戸惑うと、ラサラスはくっと小さく笑う。
「お前の方がよっぽど親らしいからな」
 ぼそっとつぶやいた声に顔を上げるが、ラサラスはこちらに背を向けたままだった。そのまま金色の髪に覆われた頭はぴくりとも動かない。
「王位を継ぐには妃が必要だ。いい嫁を探してやれ」
「……はい」
 寝台の上、彼の隣はもう一人眠れるだけの場所が空いている。だけどシャウラはもう二度とその場所には横たわることができない。彼はきっと「代わりでは意味がない」と撥ね付けるだろう。
 シャウラに求められるのがルティの母親の役目だけだとしても──
 今は彼女はそれでもいいと思った。
 未だ息子を取り上げられないこと。それが何より嬉しかったし、ルティを通じてラサラスと繋がっていられるのならば、それだけでも十分だった。


 *


(嫁、ね)
 シャウラは呼びつけた息子を前に考え込む。ジョイアとの和解後、寝る間を惜しんで仕事に取り組んでいるらしいけれど、何をそんなに急ぐ必要があるのかはシャウラはまだ分からなかった。彼の侍従セバスティアンを問いつめたら、よく王宮も留守にしてあちこちを飛び回っていると言っていた。相変わらずの単独行動らしい。
 彼は二つ並んだ椅子の一つに、大きな体を押し込めたまま、心をどこか遠くへ飛ばしていた。仕事のことを考えているのか、眉間に僅かに皺が寄っている。少々癖のある赤い前髪が、その父親によく似た端正な顔に影を落としている。僅かに哀愁が漂うそれは、以前は彼が見せなかった表情だった。妙に大人びて見えて、シャウラはもしかしたらこの間の事件で出来た傷が彼にこんな表情をさせているのかもしれないと胸が重くなる。
 彼の隣の椅子は当然空っぽ。誰がその席に似合うのかと言われれば、シャウラは即答できたし、今も幻が見えるくらいだ。
(さて……この拗れた糸をどうやって解けばいいのかしら)
 彼と彼女・・・・は従姉弟ではなくなった。だけど、そう簡単に行かないほど彼らにはもっと別の溝があるようだった。
 先日あの会合以来初めてルティと話をしたけれど、なぜか上の空で、シャウラが実の母では無かったという事実を忘れているような顔をしていた。そのくらい彼女に対する態度は普段通りだったのだ。
 おそらく、もっと衝撃的だったことが別にあったのだろうとは予想がつくのだけれど、例のごとく彼は心の内を表には出しはしない。
 そして今日の彼も普段通り、その表情からは感情を読み取ることは出来なかった。
 だからシャウラも以前と同じように接する。
「あなたの結婚の話なんだけれど」
「……ああ」
「参考までに一応聞いておくわ。あなた、妃にしたい子はいるのかしら」
「……」
 答えは期待していなかったが、僅かに曇った表情にシャウラはおやと思う。
「一応国外からも姫を招こうかと思っているのよ、ジョイアからも内々に問い合わせが数件あったし」
「……」
「国内だと貴族の娘になるけれど……この際、南部の貴族を味方につけるっていう手もあると思うのよ」
「……」
「もちろん、あなたに望みがあるのなら、検討させてもらうけれど」
 反応のなさに少々押してみるけれど、ルティは黙り込んでいる。
「──そういう子は、いないの?」
 もう一度問う。けれど、やはりルティは黙り込んだままだった。鬱々とした表情は晴れない。まさかと思いつつ、一応シャウラは確認した。
「まだスピカがいいと言うの?」
「──は?」
 その表情には戸惑いしか無いことに気が付いて、シャウラはほっとした。
(ああ、良かった)
 どうやら、彼がおかしいのはスピカへの失恋のせいではない。──となると、やはり、同時に発覚したもう一つの血の繋がりの方だろうか。一方が禁忌となれば、もう一方は禁忌ではなくなったのだから。
「別にシトゥラから選んでも構わないのよ? 丁度いい娘は何人かいるでしょう?」
 あえて名は出さない。これは彼から言い出さなければいけないことだった。自覚していない者に何を言っても無駄だというのは、今までのことでよく分かっていたのだ。
 ルティは暫く黙ったまま考え込み、そしてようやく口を開いた。
「──誰でもいい。適当に選んでおいてくれ」
 なんだか自棄になっているようなのだけれど、原因がいまいち掴めなかった。血の繋がりのことが分かれば割とすぐに纏まるのではないかとどこかで期待していたから余計に。そう現実は甘くないらしい。
 ルティは再び外を見た。シャウラもつられて窓を見ると、青く晴れ渡った王都上空では二羽の鳥が甲高い声を上げ、番い舞っている。
 どうも切り口を変えないと何もでて来ないようだったので、シャウラはあえて無理矢理話題を変えた。
「そういえば、メイサはどうしていた? この間ジョイアからわざわざムフリッド経由で戻って来たって聞いたのだけれど」
 ルティはその目を鋭く細めてシャウラを睨む。
「今一番聞きたくない名前だ」
「なに? また喧嘩したの、あなたたち」
 いつものことだと流そうとしたとたん、彼は苦々しい表情で吐き出した。
「アイツは、また男と寝た」
「は?」
「〈仕事〉をしたと言ってた。喜々として当主代理に収まってるところを見ると、あれはババアとの交渉材料か何かだろ。シトゥラに寄ったら楽しそうに当主の机に座ってたしな」
「ええと、……何かの間違いじゃないの?」
(っていうか……またって。まだ何か誤解したままな訳?)
「──赤い痣が、首筋にあった」
「へえ……」
 歯ぎしりしそうな顔である。シャウラは彼の偏った努力をよく知っていたが、ここまで悔しがると言うことは、やはりメイサの恋愛や仕事を妨害していた原因はそういうところにあったらしい。
 自覚したのか聞いてみたくてうずうずしたけれど、触れれば破裂しそうなその様子では、さすがのシャウラでも言い出し辛い。
 それにしても、彼が出し抜かれるというのも珍しく、シャウラは単純に感心してしまう。そんな相手は誰だろう。思い当たるのは実際に出し抜いてしまったあのジョイアの皇子くらいしかいないのだけれど、まああのスピカへの惚れ込みようを考えるとそれは天と地がひっくり返っても有り得ない。
(どうなってるの? あのメイサが男と寝る? っていうか、仕事? この頃シトゥラでは探るような相手なんかいないはずだし……)
 探って欲しい相手はいるにはいるが、それはまだ依頼していない。訳が分からない。が、もしかしたら、息子はとうとう見捨てられたのかもしれない。全くもって有り得る話で、その可能性が一番高かった。
「相手は?」
「知るか。聞いても言わなかった。あいつのことだから──情が移ってるんだろ。ま、それはいいとして、話は進めておいて構わない。やらなければならないことも多いし、王位は早く欲しいから」
 それはいいと言いながら、その顔はまったくそう言っていない。が、それ以上その話題を続けたくなかったのだろう。ついでのように王位と言う彼の刺々しい態度は、可哀想なくらいだった。欲しいものの為に王位を欲した、昔のラサラスと僅かに重なり、シャウラは目をしばたかせる。
(血は争えないのね)
 なんとか恋を成就させてあげたいとは思うのは親ばかのなせる技か。
 しかしシャウラが手を出すことはこのプライドの高い息子は絶対に良く思わない──それどころか逆に変に拗れるのが目に見えるようだ。何よりあの一途なメイサが見捨てたとなると……手遅れかもしれない。
 シャウラはメイサがどれだけ頑固者かよく知っていた。彼女は迷うことも多いけれど、こうと決めたら迷わない。そうして突然皆が驚くようなことをやってのけるのだ。背筋を伸ばして振り向かずに前に進もうとしている──そんな姿が目に浮かぶようだった。その姿は、一体どれほど美しいだろう。
(一度話を聞く必要はあると思うけれど……シトゥラにいるとなると接触も難しいわね)
 シャウラが対策を練るべく黙り込むと、ルティは話は終わりだと言うように、立ち上がった。
 カツカツと靴を打ち付ける音が鳴った後、扉の開く音。冷たくなったすきま風がひゅっと流れ込み、シャウラの足元まで届いた。
 思わず体を震わせて膝掛けをたぐり寄せる。直後、低く暖かい声が部屋に落ちた。
「母上」
「え? 何?」
 考え事も手伝って、間抜けに返事をすると、ルティが苦笑いをする。
「──って、これからは呼んでもいいんだな?」
 少しだけ戸惑った表情だった。昔、シャウラが泣いていたときにどうやって励まそう──そう悩んでいるような顔。シャウラは、不意を討たれて頷くのが精一杯だった。この息子は、これだから。
 にっと微笑んで出て行く息子・・の背中をじっと見つめて、シャウラは目元をハンカチで拭った。

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2010.12.01