18.王位を継ぐ男、光を継ぐ女 03

 その日もムフリッドの風は変わらず強かった。冷たく乾いた風を懐かしく思いながら、シャウラは服に付いた砂埃を払って大理石で出来た玄関の石畳を踏む。母としての使命感に火をつけられ、奮起してここまでやってくるのに一週間。──つまりは即断してやって来たのだ。
「シャウラさま!」
 出迎えた娘を見て、シャウラは思わず目を見はった。
「──メイサ?」
 風になびく長い髪は日の光を受けて赤く輝いていた。染料を落として元の色に完全に戻したのだろう。だが、髪を染める前と比べても──まるで別人のよう。
「ようこそ。お疲れになられたでしょう、部屋を用意させています。まずは湯をお使いになられますか?」
 メイサは労るようにシャウラの上掛けをとると、風呂に案内する。砂漠の旅を終えた後はまずは埃を落とすのがいつもの手順だった。
 足を進めながら違和感に周りを見回す。久しぶりに戻った家は以前とあまり変わらないはずなのに、何か──雰囲気が明るくなった気がした。天井辺りに漂っていた、重苦しい、黴臭いと言ってもいいような陰気なものが消え去っている。
 何だろうと観察してみると、──窓だった。以前は厚いカーテンで覆われていた窓は、布が纏められて外の景色がよく見える。よく磨かれたガラスからは日の光が遮られることなく差し込んでいた。
 メイサの纏った絹の茶色のドレスは光を受けて波打つよう。地味な色のはずなのに、ひどく艶かしいのは、それが熟れた体によく合ったものだからかもしれない。長い髪もよく手入れされ、背でゆるく纏められている。彼女の動きに合わせてさらさらと揺れる様は、赤い絹糸のようだ。その色のドレスを纏っているように錯覚して、シャウラは妙に感心した。
(この子は〈王の色〉がやはり良く似合う)
 赤色の絹のドレスを着れば、張りのある白い肌はどれだけ輝くだろう。
 シャウラは昔の自分を思い出す。彼女の花嫁衣装・・・・は妃にのみ許される色──赤だったのだ。あのドレスを彼女に譲ることができたら……そう思うけれど、どうも寸法が合わないだろうなと考え直す。まず胸は確実に入らない。シャウラはどちらかと言うと華奢な方なのだ。
(それに、もっと華やかなものがいいわね……深い赤にしたら絶対素敵)
 そんなことをついつい先走って考えてしまうが、直後はっとする。
(あ、そうそう、まだそれ以前の問題だったんだわ)
 後で話を聞かなければ。そう思いながらシャウラは浴室に一人入った。


「シャウラさまにはご相談したいことがあったのです」
 風呂から出て、部屋に案内されるなりメイサはそう言った。
 シャウラは目の前に置かれた冷えた茶を一口飲むと、尋ねる。
「何?」
 シャウラはもしかしたら、息子のことかもしれないと、思わず身を乗り出していた。しかしメイサは聞いたことも無いようなハキハキとした口調で訴えた。
「シトゥラがムフリッドを盛り立てて行く為には、なにをやるにしろ、まず〈水〉が第一に必要だと思って。井戸をいくつか掘りたいのです。技術の協力はジョイアに頼むつもりなのですが……さすがに資金はこちらで用意しなければいけないでしょう。そのための伝があればと思っていて。一応自分でも探してみたのですが、やはり貧しい北部ではなかなか。南部の貴族でご支援頂けそうな方はいらっしゃらないでしょうか」
「それは──あなたが当主としてどうとかそういうお話?」
 シャウラは思わず眉間に皺が寄るのを感じて慌てて伸ばす。こういった皺は気を付けないと刻み込まれるのだ。
 しかし、なんだろう、この──態度は。
 そう思うシャウラの前で、メイサは頷く。
「ジョイアの皇子には連絡済みな訳?」
 メイサはにっこりと笑う。
「ええ。例の件でずっと懇意にさせていただいているのです。が、やはり資金面ではまだそこまで融通が利かないとのことでした。彼はまだ皇太子ですので」
「じゃあ、頼るべき人間はシトゥラには既にいると思うけれど?」
 メイサは僅かに視線をさまよわせた後、小さな声で言う。
「……王太子殿下のことでしょうか」
 シャウラはさすがに眉間の皺を伸ばすことを忘れる。
「なに、その他人行儀な態度は!」
 思わず大きな声がでるとメイサは驚いたような顔をする。
「他人行儀?」
「今までみたいにルティって呼ばないの?」
「え、ええと……でも血の繋がりも従姉ではなかったのですし、私も、当主代理としては今まで通りのように馴れ馴れしくしているわけにはいかないと……このところ反省しまして」
 シャウラはその言い分が気に入らなくてついつい口走る。
「従姉じゃないわよね、だから──妃にもなれるわよね!」
「私がですか? とんでもありません。力不足です」
(あなた以外に誰があの馬鹿息子を御せるというの!)
 シャウラの願いとは裏腹に、以前と変わらずの固い答え。まるで用意されていたかのような言葉に、埒があかないと思ってシャウラは攻め方をあっさり変える。まずそれを確かめないといけないと思っていたのだった。
「そういえば……ルティが言っていたのだけれど、あなた──男と寝たって?」
「!」
 メイサは見る見るうちに赤くなった。頬を染めるその様子は妙に艶かしく、シャウラは一瞬呼吸を忘れる。しかしすぐに切り替える。ようやく彼女に以前と同じような隙が表れたのを見逃すわけにはいかない。
「誰と寝たの? 仕事って言ってたみたいだけれど、継承権問題も落ち着いて、ジョイアと和解した今、そんな案件は無いはずだし、……もしお金の為だとしたら、さっき私にしたお願いがおかしいでしょう? はした金であなたが男と寝るとも思えないし」
 その逆も有り得ない。男からしても、一夜だけの慰みものにするような──そういう女ではないのだ。一生手元に置いておきたくなるような、そんな輝きが今の彼女にはあった。
 それがいつ備わったのか。確かに王宮で見たときは、まだ自信がなさそうにしていた。背中を丸くして俯いて、下ばかり見ていた気がする。それから、最後に見たのは……あの皇子がスピカを取り戻しにやって来た、あのとき。──シャウラは自分のことだけで精一杯で余裕など無くて、メイサの様子などじっくりは観察できなかったが、あの時もしこれほどに変わっていたのなら気が付いたような気がする。いや、もしそうであれば、近衛隊の中で騒ぎの一つや二つ起きていてもおかしくない。が、そんな話はシャウラには届いていない。
(ともかく……)
 メイサはその〈男〉で変わったような気がした。女の勘だろうか。ルティから聞いた話や、状況を考えると、それが至極自然な気がしていた。
 彼が言うには〈仕事〉だとのこと。
(じゃあ、ラナのように、仕事中に恋に落ちたとか?)
 ルティを差し置いて惚れるような……それほどの男が、彼女の周りにいただろうか。
 シャウラはメイサをじっと観察する。彼女は俯いて、口を閉ざしたままだった。やがて彼女は口を開く。
「……お金の為です。自分の食い扶持くらいは稼がないといけないですから」
「相手は?」
「言えません」
 驚くほどきっぱりとした返事。その眼差しはあまりに真っ直ぐで、追求を拒んだ。メイサは少し頬を染めたままでにっこりと微笑み、頭を下げた。
「とにかく、殿下のため、シトゥラの為に、どうぞご助力をお願いいたします」
 部屋には沈黙が広がった。しんとする部屋でシャウラが僅かに寒気を感じ、腕をさすると、メイサは立ち上がり、暖炉に火を入れる。乾いた薪に火が着くまで、メイサは一言も口を開かず、そしてシャウラもまた何も問えなかった。
「……分かったわ」
 静かな拒絶にシャウラはついに折れる。頑固者二人に板挟み。その立場に気が付くと、とても窮屈な気分になった。しかし、これも可愛い息子と、姪のため。
 とにかく、この場から動こうとしないメイサを引っ張り出すのが、シャウラの最初の仕事だ。メイサはどうやらこのままシトゥラに骨を埋める気でいるようだけれど、そんな勿体ないことをさせるわけにはいかなかった。少し考えて、シャウラは口を開く。
「そうね。二人ほど紹介できそうな人物を知っている。だけど、あなたがここにいればそれも難しいから……王宮までまた出て来てくれるかしら」
「でも──」
「当主の仕事の一環よ? 家のことはそうね──」
 メイサの言わんとするところはすぐに理解できる。シャウラもすぐには答えが出せず、適任を探す。
(当主代理……でも、クレイルではなくともそれは務まる。メイサは力を持たずともきちんと仕事をこなしている。要は管理できればいい話で……)
 そう考えていてふと思いついた。
「カイサル兄さんにでも任せたらいいわ」
「兄って……父様に?」
 意外そうな顔だった。だけど、染み付いた固定観念を取り除けばいいだけだった。別に当主は〈クレイルでなくてもいい〉のだと。ならば、別に女でなくとも良いはずだった。
「ええ。頼んであげるわ」
 思いついた考えにシャウラは少々興奮していた。兄。彼は過去のことをずっと背負ったまま、根無し草のように未だ漂っている。でも彼だってまだ若い。四十の男盛りなのに枯れてしまっている彼にも、まだ幸せになれる機会はあると思っていた。
 シャウラは兄が全てを忘れてどこかに逃げてもいいと思っていた。でも彼は逃げなかった。かといって立ち向かう強さまでは持ち合わせていなかった。メイサがいる限りシトゥラから離れることは出来ず、かといって強く関わることも出来ないのだ。
 もう、許されてもいい。自分を許してもいいのではないかと思う。離れられないのなら、もう徹底的に関わってしまえばいい。メイサを助けたいのならば、シトゥラから逃げなければいい。
 メイサは少々複雑そうな顔で、それでも頷く。
「あの、それで、ご紹介いただけるお二人とは……」
「アルゴル第一王子、それからヨルゴス第十王子」
「ああ、ええと? シャウラ様にそんな伝があるとは……」
「ヨルゴスの方は、以前のお仕事・・・関連。探って欲しかった案件はまだ残ってるのよ。その時の伝がまだ手元にあるから、利用すればいいわ」
「ああ、以前の」
 メイサは納得しているけれど、仕事の内容が変わったことまでには気が付かない。そこまで回らないことにほっとする。気が付くほど有能であれば、さすがにシャウラの手には余ってしまう。相手にしなければいけないのは二人だからだ。
「それからアルゴル王子はあちらの希望。あなたを欲しがってるわ。伴侶としてね」
 そう言うとメイサは唖然とした。
「は? ──伴侶? 私、面識ありませんし、何か勘違いをされているとしか」
「いいえ。あなたを指名して来たの。赤い髪の娘と言っていたから間違いないの」
「いえ、でも私王宮では髪を染めていましたし。他の娘としか思えません」
「だから、なんでかは知らないけれど! 私の他には、赤い髪の娘はいないんだから、あなたしかいないでしょう!」
「でも……」
 シャウラはだんだん面倒くさくなって来た。謙遜ならば鼻で笑って流すけれど、この子の場合は本気で色恋は自分に無縁だと思っているからたちが悪い。
(まったく……どうしてその容貌で、自分の魅力に気づかずにいられるのかしら)
 それもこれもルティの仕業なのは分かっている。腹を立てつつ、メイサの覚悟を問うた。
「どっちにする? アルゴル王子は、子供が出来ない体質みたいなの。もう三十過ぎてもだから、本当みたい。だからあなたの出生のことを言ってもおそらく納得してくれる。それから、ヨルゴス王子の母親はカルダーノ出身なんだけれど、ちょっとあの辺で、きな臭い噂が絶えないのよね。実際に南部の〈ワジ〉に人が集められているの。何をやっているのか気になっていて、調査をしたいのだけれど、現地の警戒はすごいし、普通に女官を入れてもあの通りすぐに追い出されるし……難しいと思うわ。だけどやりがいはあるはずよ」
 一気にそう言うと、メイサは考え込む。そして、判断がつきかねるといった様子で尋ねた。
「どちらがシトゥラの為になりますか」
「アルゴルと結婚しても資金はそんなに得られないかしら。アステリオンなら別だけれど、まあ彼は問題外だし。……ヨルゴス陣営はアルゴル王子よりお金持ちよ。でもそれより、変な動きが気になるわよね。継承権は決まったけれど、奪われないとは限らない──先王の例もある」
 この国では王座は簒奪によって若返る。先王はラサラスに弑されたのだ。そのことに触れると未だ心がひやりとする。それはメイサにも即座に伝わったらしい。
「では、まず──ヨルゴス殿下の元へ参ります」
 彼女は即断した。
「それでいいの? 大変よ?」
 頷くメイサの茶色の瞳に焦躁が浮かんで見えた。
 シャウラは彼女がアルゴルだと言わなかったことに安心していた。それならば、まだ手遅れではない。それに、この瞳にはまだ熱が込められている。
(どうやら見捨てられたわけではない。でも──これじゃあ)
 シャウラはどこか鏡に映った自分を見ているような気分になった。もしかして、メイサは昔に──姉という立場に戻っただけではないか。そんな不安が、浮かんだばかりの希望に影をさす。
「はい。すぐに王宮へ参ります。──手続きを、お願いいたします」

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2010.12.05