通された部屋で、メイサは頭を抱えていた。
部屋の中にある一枚の肖像を見て、彼になぜ、女官が寄り付かないのか。それを大体察してしまったのだ。
「あの……その肖像って」
「美しいだろう。実物はこんなもんじゃないんだよ」
男はこちらを見ることも無いまま言う。メイサはぐったりと肩を落とす。
「それは……たしかジョイアの
「え? 君知ってるの? 見たことあるの!?」
「……え、ええと……」
メイサの目の前で目を輝かす男は、メイサより随分幼く見えた。ヨルゴス=テオ=アウストラリス。アウストラリスの第十王子は現在二十五歳のはずなのに──十代と言っても通用しそうだ。
「あ、そうか、君シトゥラ出身だったっけ。この間あの家で和解が進んだんだよねぇ。王宮の会談には参加させてもらえなかったし。いいなあ、僕も行きたかった」
「あの……
本当は未だに文通するくらいに親しいのだけれど、それを言うよりも先に問うことがあった。というか、迂闊に親しいなどと口に出さない方が無難かもしれない。念のためもう一度尋ねる。
「今、シトゥラだって言ったばかりだろう? なら妹姫の訳がないじゃないか。この間立太子の儀にもわざわざ志願して実物を見に行って来たんだ! 噂に違わなかったね……本当に」
そう言ってうっとりと肖像を眺める。
(ああ……これは……どう頑張っても太刀打ちできません。シャウラ様、申し訳ありません)
仕事の障壁は意外なところにあった。
そういう嗜好の人間がいるとは知っていたが、実際に見るのは初めてだった。しかし、王族でそれは致命的なのではないだろうか。子孫が残せない。
「ああ、一度でいいから押し倒したいなあ」
「…………」
男はその幼い顔に華やかな笑顔を浮かべている。容姿自体は美しいのだ。柔らかそうな鋼色の髪と明るい茶の瞳は王兄ザウラクから引き継いでいるのだろう。ルティとどこか似た端正な顔立ちだが、ルティよりは線が柔らかい。茶色の瞳に宿る光も柔らかだった。王族としては当然で、麗しいくらい。だけど、その笑顔が向けられている対象を思い浮かべると、胃の辺りが妙に重くなる。
(またあの皇子なの)
メイサは思い出す。シトゥラで彼が滞在していたとき、スピカのことが近衛隊の中で噂になるかと思っていた。だって彼女は愛らしいし、横恋慕──といっても叶わぬ恋だけれど──をする人間がいてもおかしくないと思っていたのだ。だけど心配は要らなかった。別の騒動が起こったのだ。横恋慕の対象はあのシリウス皇子だったというだけの話だが。色んな意味で敵わぬ恋だ。
大抵の人間はあれほど美しい人間を見たことが無いのだから仕方が無い。メイサは外見よりあの中身の印象の方が強くて忘れがちだが、一度見ただけの人間にあのイロボケ皇子の中身が分かるわけが無い。そんな男たちがいても仕方が無いのかもしれない。
(スピカも……変な苦労をしそうね)
彼女があれほどの美しさを持っていてもどこか自信がなさそうにしているのは、……あの皇子に起因しているのかもしれない。男が自分を差し置いて夫に惚れれば、それは自信をなくすに決まっている。まあ、ある意味自身の体を張った、最強の虫除けとも言えるかもしれないが。
「あの、ヨルゴス殿下は……その……男の方がお好きということなのでしょうか」
張り付けた笑顔のまま一応確認をとっておく。聞いて対策を練る必要があった。もし男が好きならそれで構わない。皇子を利用して、引き出すものを引き出すだけ。
「へえ、君結構率直に聞いちゃうんだねぇ?」
ヨルゴスはニコニコと笑って、ようやくメイサに向き直る。
「ふうん。君もとっても美人だ。シリウス皇子の次くらいに」
「はあ……どうもありがとうございます」
美人というのは確かに褒め言葉のはずなのに、まったく素直に喜べない。
「最大の賛辞なのに、どうして喜ばないのかなあ」
彼は少々不満げに首を傾げる。メイサは呆れる。最大って一体。皇子は別格ということだろうか。
「僕は別に男だけが好きなわけじゃないよ。美しいものが好きなだけ。だから君も気に入ったな」
「はあ……気に入っていただけて光栄です」
「ほら、なんで喜ばないんだよ」
彼は子供のように拗ねている。頭痛を感じながら、メイサは問う。
「まさか、今までの女官に同じようなこと言われていらっしゃいました?」
「え?」
「殿下のもとに女官が落ち着かないのは、それが理由ではないかと思うのですが……」
あーあ、と思いながら、メイサは言った。なんだろう、この既視感。アウストラリスの王子たちはみなこんな風に女心が分からないのだろうか。
「何が悪かった?」
「男と比べられて負ければ、普通は自信喪失します」
「……なるほどー。だけど、僕が皇子だと言わないのに男と見抜いたのは君が初めてだよ?」
(ああ、彼の顔はそんなに広くは知られていないのね、そういえば)
メイサは肖像を見る。いつ描かれたものなのか──というより、どうやって描かせたのかがまず怪しいけれど、確かにその姿は黒髪の
「じゃあ、絶世の美人と比べられて、自信をなくしたのでしょう」
「ふうん、君もさっき比べられてそう思った?」
ヨルゴスはなぜかニヤニヤ笑っている。比べられ負けることにはまったく腹は立たないが、彼のその態度にメイサは苛立った。そして言葉は丁寧であるけれども僅かな反抗を試みる。
「私には殿下のなさりようが理解できません。これでは──まるで私を試されてるよう」
「君、ホント、結構はっきり言うね。うん、シトゥラだって警戒してたけどさあ……だってあの腹黒ルティリクスの家のヤツだろ。皆腹が黒いかと思ってた。謎だらけのシトゥラが手を組もうなんて胡散臭いし。だけど君くらいはっきりとしてて分かりやすいのはキライじゃないよ。どうせ僕のことを探っても何も出て来ないし、追い返すと面倒そうだし、要は邪魔されなければいいし。うん、とりあえずは傍に居てもいいよ。合格ー」
(へ?)
メイサは何か聞き違えたかと思う。
「ええと、合格って言うのは……。──女官には殿下から暇を出されていらしたのですか?」
今までのことでてっきり逆だと思っていた。この男に我慢できずに出て行くのなら分かる気がしたからだ。
ヨルゴスはうんと頷く。
「だってさあ、女官って面倒なんだもん。僕は皇子一筋なのにさあ。それ分かってるくせに寝台に潜り込んだり、変な奉仕をしようとしたりさあ。体が反応しちゃうから好きなようにさせるけど、勝手にそうやっておいて、妃にしろなんて言うんだ。面倒だろう? だから、そんなことをするヤツはいつも翌朝追い出すんだ」
「……」
メイサは引きつった笑みを浮かべる。まさにそうしようと思っていて、シャウラに止められとは口が裂けても言えない。
「ああ、その時に僕が好きなのが〈男〉だって言うと、騒いでた女もたいてい簡単に引き下がるんだ。ほら、まさにさっき君が言ったのが理由なんだろうねー」
くすくすと笑うヨルゴスの顔は、幼子が笑ったような純真さがあり、不思議な魅力があった。
メイサは想像する。この王子と一夜を過ごした翌朝に、うまく取り入ったと喜んでいたところで、勝手なことをするなと言われる自分を。しかも皇子と比べられて、女としてのプライドが木っ端みじんになるところを。
女官たちが何も言わずに王宮を去る理由がよく分かる。とてもじゃないが人に言えない。男に負けた──そんなあまりに屈辱的な理由は。
(それは──あまりに残酷なんじゃないの)
メイサはこの国の王子にはまともな人間がいないのではないかと……国の先行きに不安を感じた。
アステリオンは来るもの拒まずで、どんどん子を孕ませてるし、ヨルゴスは男女両方いけて、女官の誘いは拒まずに一夜限りで捨ててしまう。アルゴル王子や他の王子はどうだか知らないが、
メイサは同じ節操無しの中でも女を大事にしているルティがかなりまともに見えてしまって戸惑った。
「でもさあ、あいつらも悪いんだよ。僕の意志なんか関係無しなんだからさあ。寝ちゃえばこっちのものなんて思ってるところが気に食わないんだ。まず大事なのは心だろう? 順番が違う」
この男に言われたくないと思いつつも、なんだか耳が痛いのは気のせいだろうか。メイサは黙り込む。
「そうそう、一番腹が立つのが、僕の実験を手伝ってくれないことなんだ」
ヨルゴスは怒ったように続ける。
「実験、ですか?」
そういえば、薬学と医学に通じていると聞いたような──そうメイサが興味を示すと、
「うん。ほら見て、こっち!」
子供のようにぱっと顔を輝かせてヨルゴスは隣室へ駆けて行く。やれやれと思いながら、メイサは、この〈坊や〉ならうまく御せるかもしれない、そんな気分になっていた。