19.彼と彼女の今後の為に 03


 翌朝のこと。メイサは早朝からシャウラの部屋に呼ばれていた。
 徹夜でヨルゴスの〈実験〉に付き合って、朝まで部屋に戻れなかったのだが、部屋の前に戻ると既に使者が待ち構えていた。
「それで、どうやって取り入ったの。朝からすごい噂よ? ヨルゴスが初の愛妾を迎えたって」
 そわそわと急かすシャウラに眠い目を擦りつつ、王子の傍付きとして認めてもらえたと報告すると、シャウラはまずメイサの働きを存分に褒めてくれた。あのヨルゴス王子が気に入るというのは本当に珍しいことらしい。シトゥラの娘としては本当に快挙だと。
 産まれてからこんなに褒めてもらったことは今までに無い。だから、メイサは残念な報告を続けなければいけないことを憂う。「実は──」

「──男色?」
 シャウラの顔はメイサの予想通りに引きつった。
「それは私に言っていい情報だったの?」
「あまり広めないでいただきたいのです。『噂になったら解雇!』と言われてましたし」
 ──それにまだ未遂ですし、とメイサは溜息まじりに言う。あれは完全な片思いだ。
「じゃあ、……あなたに機会は無いのかしら?」
「はい、全く」
 それを証明するかのごとく、昨夜はヨルゴスはメイサの傍で実験の話を延々と聞せてみせた。
 彼はこの頃錬金術にも手を出し、今やっている実験に取り付かれているそうだ。彼が言うには全ての学問は突き詰めれば同じことだそうで。
 中庭の実験小屋では、部屋の片隅で古い医術書などががらくたとともに埃をかぶっていた。一方、机の上には真新しい専門書書──おそらく外国のもので、メイサは字さえ読めなかった──の山。その前には古びた色の金属鍋。中では怪しげな色をした液体が異様な匂いを放っていた。それらを前に喜々として語るヨルゴスの話は、ルティが語る政治の話くらいに退屈だった。
 しかし、何かの話の折りに以前煙草の葉から毒薬を生成したことがあると言うと、彼の中でメイサの株は急上昇して、実験助手として認めてくれることとなった。女官とどちらがいいかはメイサには判断が付かなかったが。
「噂通りであれば良かったのですが……あまりお役に立てそうになく、申し訳ありません」
 メイサはシャウラの顔に安堵が浮かんでいるのを不思議に思いながらその話題を結んだ。
「十分よ、それで。──というより、これほどうまくいくとは思わなかったわ。異性の友人って一番得難いのよ。ああ──男色なんて!」
 なんだか大歓迎な感じのその口調に、メイサは戸惑う。喜々として男色と言う王妃の図は傍目からして怪しい。
「あの……どなたかに聞かれると、噂になってしまいます」
 そう控えめに諌めると、シャウラは慌てて口を押さえた。「ああ、そうね、どこで鼠が聞き耳を立てている分からないものね! あの子には勘違いしてもらう方が効果的だもの」
 うんうんと頷いて、シャウラは嬉しそうに手を叩く。
「あの子?」
 メイサは気になって問うけれど、シャウラはさらりと無視した。
「それなら、もっと派手に行動した方が刺激があっていいかもしれないわ。もっと美しく装っても大丈夫ってことでしょう? そうね、今度はもっと──」
 いそいそと隣の衣装部屋に移るシャウラを追いかけながらメイサは一つ言い忘れに気が付いた。
(あ、男女両方いけること、言いそびれちゃった)
 でもシャウラの嬉しそうな姿に水を差すようで、メイサはまた後日でいいとその場では口をつぐんだ。

 *

 衣装部屋にはシャウラの衣装だけでなくメイサの衣装が数点置かれていた。華やかな衣装は場所をとる。彼女の女官部屋は狭くて置き場が無いのだ。
(今度は黒もいいかもしれないわね)
 シャウラは衣装を手に取ると、部屋の隅で突っ立っているメイサに次々に合わせてみる。
 メイサの白い肌が映えるような色が多数揃えられているが、視界の端にはシャウラの深紅の衣装が割り込んで来る。どうしてもメイサには深い赤が似合うと思えて仕方が無い。

「ところで、ルティの妃の話なのだけれど」
 シャウラはメイサの新しい服を選び終えると、そう口にした。僅かにでも衝撃を受けてくれればいい──そう願うシャウラの望みに反して、メイサは普段通りの顔でにこりと微笑んだ。
「良い方が見つかりましたでしょうか」
(ああ、駄目だわ、踏み込めない)
 がっかりしながらも話題を続ける。これはどちらにせよ言っておかなければいけない話だった。
「国内はほぼ全滅だったの。ほとんどが他の男の手つきで……とくにアステリオンが食い荒らしてたものだから、王妃になれるような女が殆ど居ないの」
「ああ……」
 メイサがため息をつく。この国の王子は十一人もいる上に、皆が皆節操無しなことを思い出したのだろう。
 王位を継ぐと思われたアステリオンの元には殊更沢山の女が仕えた。そして彼の失脚に伴い、皆が暇を出され、そのほとんどがもう他の人間に嫁いでいる。后を捜せとラサラスに命じられたものの、それは困難を極めていた。
 さすがに王妃ともなると、身分だけでなく、貞操も問われる。スピカを娶ろうとしたルティだが、あれはジョイアの皇太子から〈奪った功績〉の方が輝かしかったために許された行為だ。
 失脚したアステリオンの〈お下がり〉となると、眉をひそめられても文句は言えない。
 もちろん、シャウラの望む女は純潔ではない。相手がルティだけならば全く問題はないが、どこの馬の骨か知らない男と寝たと言っている。まずは相手を捜して口封じをせねば。どこから漏れるか分からないから、徹底的に。そんな風に計画してはいるのだが、肝心のメイサが口を開かない。シャウラの思考を読んで、庇っているのだろうか。それならば、別の方法を探るしか無い。誰か目撃者が居るかもしれないし、シトゥラに調査を入れる必要もある。
(一体誰なの、その相手は)
 そう胸の内で呟いたところで、メイサがそういえばと口を開く。
「あの、ジョイアから何か連絡は?」
「ああ、そうそう、あなたがシリウス皇子に依頼してくれたのですってね。ルティは大喜び・・・していたわよ」
 メイサはそれは良かったと言葉通りに捕らえて納得する。
「お相手は? ミルザ姫でしょうか?」
「いえ、彼女は皇子が七歳の歳の差を気にされて。ご本人は熱烈に希望されていらっしゃるみたいだけど……可愛い妹を渡すのは惜しいのでしょうね」
 そう言いつつシャウラは妹姫とルティの間にある、未だ明るみに出ていない確執を思い出す。シャウラとしてはルティのやったことを考えるとご遠慮願いたい。今は亡き姫の母親はシリウス皇子の母親である前后妃を弑した。その殺人を唆したのは皇子を孤立させ、奪いたかったシトゥラであり、シトゥラからの提案を届けたのは、当時ジョイアに潜入していた幼いルティだった。それを知る皇子が、事実を知らない妹姫を気遣うのは極自然だと思えた。
「そうですか」
 メイサはそのことは詳しくは知らないから、歳の差という理由に納得しているようだ。しかし残念そうなのが気にかかる。息子の見合いを断られた母親のようにさえ見えてしまうのはなぜだろう。
「他にはいらっしゃらないのでしょうか?」
 切実な顔にシャウラは溜息が出る。一番相応しいのはあなたなのにと、伝わらないけれどまた言いたいと思う。
「ジョイア南部ガレのエリダヌス、北部のケーンからシェリアという娘がどうしてもと訴えて来たと書いてあったけれど」
 どちらの名前にも聞き覚えがあったのか、メイサは苦い顔をする。
「エリダヌスというのは──」
「あの〈ミュラ〉という娘が成り代わった娘ね。南部ガレの貴族の娘。髪の色はミュラと同じ栗色で黒に近い茶色の瞳。ずいぶんと大人しい娘だそうで、両親の方が乗り気だそう」
 シャウラはそちらはそんなに気にならなかった。印象の薄い娘だと感じたのだが……問題は、こっちだ。
「──それからシェリア。北部ケーンの貴族の娘。銀の髪に灰の瞳。大人しそうに見えるけれど意外に勝ち気」
 書簡にはお勧めはしないけれど、もしかしたら気が合うかもしれないし、行くという者を止める力が今は無い、あとは本人に直接会って判断願いますと欄外に付け加えて書かれている。要は丸投げされた。お勧めしないとはっきり書かれるのもある意味すごい。逆に気になってしまう。
(確かルイザが潜入してるから……一度話を聞いてみようかしら。ああ、そうそうメイサにも傍付きが居た方がいいし)
 ひらめいたものを頭の隅に書き付けると、シャウラは何かもの言いたげなメイサを促した。
「二人しか……いえ、二人とも、確か……皇子の妃候補だった娘ですね?」
「ええ。二人送っていただいたの。妃候補であったことは、シリウス皇子も気にしていらして、申し訳ないと書かれていたわ。ただ、国内でもどうせならジョイアの皇太子の妃を望む貴族は多いみたい。それは仕方が無いことでしょう?」
「でもいずれスピカが正妃になるのでしょう。彼はそのつもりですし、子まで産まれていますし」
 メイサはややむきになってそう言うけれど、シャウラは首を横に振る。若い皇太子のその覚悟は評価するけれど、あの国にはまだ得体の知れない者が棲んでいてもおかしくない。彼の国の前后妃リゲルがいい例だ。寵愛されればされるほどその身の危険は増す。彼は重々分かっているだろうが。
「正妃はそうかもしれないわね。でもジョイアは豊かだから。アウストラリスの王妃よりもジョイアの側室を選ぶ人間は多い。しかも──あなたも親しくしているのなら分かるでしょう。彼はジョイアをさらに豊かにするでしょうし、その妃となると、その座を狙う者がまた現れても全くおかしくないの。常に気が抜けないのはアウストラリスと同じよ」
「……そうですか」
 メイサはスピカと皇子の苦労を思ったのだろうか。複雑そうな表情を浮かべて、考え込んでいる。
「とにかく。そんな感じで妃候補がこれから続々とやってくるわ。あなたの尽力のおかげね。それだけ連絡しておきたかったの」
「いいえ。とんでもないです」
 どこかがっかりしたままに退出して行くメイサの後ろ姿を見つめて、シャウラはため息をつく。
 
 筆記机の上に置いていた書簡を取り、椅子に腰掛けて再び開いた。
 ルティはメイサがルティの妃の斡旋をシリウス皇子に依頼したと聞くなり、中身を読みもせずにその書簡を勝手に破り捨てた。何も言わなかったが、もう、何もかもが気に入らないという顔をしていた。糊付して復元したので、随分とごわごわだ。
 そこには、まずメイサからの依頼に対して、シャウラ宛に返事をすることへの詫び。そして、紹介できる女性たちの紹介が長々と綴られた後──最後にはこう書かれていた。

『彼の傍には既に妃に相応しい女性が居るように思えてならないのですが。その女性からの依頼があることに、正直に言うと戸惑いを隠せません。彼らの幸せのため、家族として出来る限りの助力をしたいと思っています。私たちに出来ることがあれば、なんでもおっしゃって下さい』

 シャウラはなんだか強い味方を得たような気分で、書簡を胸に抱きしめた。

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2010.12.16