21.暗躍する影たち 02


「なんだか見張られているような気がするのです」
 ルイザは辺りを見回すと、メイサに向かってそう言った。
「そう? でも、ここって、誰も入って来れないでしょう?」
 メイサはルイザにつられるように、中庭の上にぽっかり空いた空を見上げる。白い石で作られた建物に囲まれたこの場所には出入り口は一つ。ヨルゴスの部屋の扉だけだった。建物の上の方には窓もあるけれど、そこに人影はない。
「きっと気のせいよ」
「そうですかね」
 大きな木の影からは日が沈みかけていた。西の空の雲が赤く染まっている。一刻ほど前、会議終了の鐘が鳴っていたから、もうそろそろヨルゴスが夕食を終えて戻ってくる時間だった。
 それまでに残っている球根を植えようと小さな畑の傍にかがみ込むと、
「ああ、ここからは私がやります」
 ルイザがメイサの手からそれを奪い取った。「せっかくの美しい手が荒れてしまわれますわ」
「多少荒れても問題ないわよ」
「いいえ!」
 そのまま球根を背に隠してしまうルイザの強情に、メイサは首を傾げた。
「甘く見てはいけません! メイサ様はまだお若くていらっしゃいますが、歳を取るごとに手のひび割れやあかぎれは治りにくくなるのですから!」
 じゃあ、年上のルイザの方が問題じゃないかとメイサは思うけれど、さすがに年のことを年上の女性に向かって言及するのは避けるべきだと口をつぐむ。それでも心配そうに見つめると、
「ここにはたくさん薬がありますし、あとであかぎれの薬も探してみます」
 ルイザは語調を和らげて、鬱金の球根を柔らかく耕した土に植えて行く。
「悪いわね」
 そう言いながら長い服の裾を膝に折り込んでかがんだ。ルイザがメイサに問う。
「これは香辛料ではないのですか?」
「そうでもあるけれど、薬にもなるって殿下が言われてたわ」
「何に効くのですか?」
「ああ、──二日酔いよ」
 溜息とともにそう言うと、深酒をすることの多い一人の男を思い浮かべる。あれからは少しは酒を控えているようだけれど、どうもまだ結構強い酒を飲み続けているらしい。寒くなってから空き瓶の量が増えているとも聞いた。酒は百薬の長とも言うけれど、それは少量に限られるとメイサは思う。現に、スピカが去ったあの夜の深酒は彼を数日間苦しめたのだ。
 忙しい王太子は二日酔いをしている暇など無いし、体を壊されたらもっとまずい。だけど、彼が酒に頼らざるを得ない気持ちも分かるから、メイサは忠告とともに薬を差し入れようと思ったのだ。
 ヨルゴスに頼んでみると、薬の持ち出しは別に構わないけれど、材料は補充しておいてとのことだった。だから、メイサは鬱金の株を取り寄せて、ついでに植えてみることにした。
 作り方は教わったから、あとは材料が手に入ればいい。ムフリッドの気候だとなかなか育ちにくそうだったので、荒れた中庭の隅を使わせてもらっている。秋には白い花も咲くと聞くし、一石二鳥だった。
「ところで、お聞きになりました? ──妃候補のご到着のこと」
 ルイザがそろそろと尋ねる。メイサは気持ちを奮い立たせる為にもあえて微笑んだ。
「そうなの。あの皇子に頼んで何人かジョイアから送ってもらったのよ。今朝は騒がしかったわね。対面は明日なのかしら? 待ちわびたわ。妃を迎えればルティの周りも少しは落ち着くはずだし。──どんな娘かしらね? ルイザ、あなた会ったことがあるのでしょう?」
 そう明るく言うと、
「あ、……ええ」
 ルイザはなんだか拍子抜けした顔で、メイサを見つめていた。が、気を取り直した様子で、二人の候補に付いて話し始める。
「お一人は一瞬だけお話をしたことがありますが、ちょっとつかみ所の無い方でした。儚い感じの印象なのですけれど……意外に勝ち気な……しっかりされた方のようで」
 その言葉に、メイサはシャウラを思い浮かべる。儚く見えて実は強い。──スピカもそうだったことに思い当たって、メイサの顔は輝いた。
「じゃあ、すごく合うかもしれないわ。ルティにはしっかりしたお嫁さんが傍に居た方がいいと思うもの。この国の王妃はシャウラ様くらいに聡明な方でないと務まらないじゃない? 縁談、纏まるといいわね」
「……メイサ様、それは、本気で言ってらっしゃいます?」
 ルイザが意を決した様子で尋ねるが、メイサはあっさりと頷く。ルティにはしっかりした女性が合うというのは、心からの本音だった。彼を支えてくれる娘が早く見つかるといい。心底そう思っていた。
「本気よ?」
「……そうですか……」
 複雑そうな顔をしてルイザは球根植えに意識を戻してしまった。黙々と植え続けるルイザの隣から立ち上がると、メイサは再び空を見上げた。赤から紺色に色を変えた空からは、雪が時折舞い降りて来ていたが、それは地面に落ちると小さな染みを残して消えてしまう。なぜか空が泣いているように思えて、一瞬、胸が刺されたように痛くなる。時折訪れる痛みの元が何なのかは深くは追わないことにしていた。じっとこらえて、そっと吐いた息は白く曇った。メイサはルイザに部屋に戻るように声をかけると、ヨルゴスの部屋の扉を開けた。

 *

 大きな鏡には銀色の髪と灰色の瞳を持った儚げな少女が映っている。
 ジョイアではこんな大きな鏡は王宮にも存在しない。小さな手鏡でもひどく高価なのだ。初めて見る自分の全身像を興味津々に覗き込み、美しい姿に満足すると、シェリアはその姿に似合わないことも気にせずに、ふんと鼻を鳴らした。
「どいつもこいつも、どうしようもないわ」
 今日さっそく王太子に目通りを許された。見上げるほどの背、逞しい体躯、宝石のように輝く赤い髪に、やや冷たい感じのする茶色の瞳とは対照的に甘い笑みを浮かべた唇。ジョイアに流れる噂通り。シリウス皇子とは毛色が全く違うけれど──すこぶるいい男だった。
 が、本人は上の空。表面上は普通に振る舞っているつもりだろうけれど、シェリアの目は誤摩化せない。心ここにあらずと言った様子だった。何に心を捕われているかまでは分かりようが無いが、未来の妃を前に一体どういうつもりなのか。
 思えばあの美しい皇子も最初会ったとき、穏やかな顔でシェリアを拒絶していた。王太子には想い人など居ないと聞いている。それなのに──同じ印象がするのは一体なぜだろう。
「見た目ばかり良くても駄目なのよ! 皇族も王族もふぬけばかりじゃないの。男運さーいーあーくー」
「そのような口のききようはお控えくださいませ」
 侍女のマルガリタは泡を食ったかのような様子で諭す。この口が災いの元なのだとマルガリタはそう信じている。余計なお世話だとシェリアは思う。
 皆が皆言うのだ。両親もシェリアに言い続けている。外見通りに大人しく可憐な印象を保てればどれだけの良縁でも手に入れたはずだと。そうだ、あのスピカというはしために皇太子妃の座を奪われることも無かったと。
 そしてアウストラリスの王太子妃の座などと随分と低い地位しか残されていない現実をそのせいにするのだ。
 本当にそうだろうか? 偽ったままでうまくいくのか? シェリアは昔からそう思っている。
 彼女は可憐な外見など邪魔だと思っていた。本来の自分らしくない。そんな風に飾っているからこそ、皆本来のシェリアを見てくれないのではないかと思うのだ。
 そうして彼らは勝手にシェリアを勘違いして捉え、本来のシェリアを知り軽蔑にも似た色をたたえた眼を向ける。その度にシェリアはムッとしていたが、最近はそれも自分の武器だと思うようにした。
(そうよ。私はこれでいいの)
 ──別にいいではないか。欲しいものがあるならば、力で奪っても。策略を張り巡らせようとも。
 スピカを追い出す為に、シェリアは色々作戦を練ったのだ。彼女の本性を訴えて、皇子が騙されていると宮に噂を流したのはシェリアだった。
 幸い彼女の郷であるジョイア北部の街ケーンはスピカの故郷であるツクルトゥルスとあまり離れていない。だから色々調べることができた。
 スピカの母親が一体どんな仕事をしていたのか。
 潔癖なシェリアはそれを知って、スピカはジョイアの皇太子妃にはとても相応しくないと思ったのだ。
 スピカの母親であるラナはハリスを拠点とした売れっ子の娼婦・・だったという。随分美しい娘だったらしいから、覚えている人間が多かったのだ。仕事相手だったスピカの父親レグルスを上手く誘惑して家庭を持った。
 そのような経緯を聞けば、まず父親が誰かも分からないではないか。
 ただでさえ、近衛隊長のレグルスは成り上がりものだ。調べればこちらも孤児だったそうだし。ますますもって許されない。
 そしてスピカ自身も何かと噂の耐えない女だ。侍女時代にたぶらかされた男がたくさん居ると噂で聞いていた。やはり血は争えないのだ。そんな卑しい血を皇家に迎えようなどと、頭が腐っているとしか思えない。
 皇子の目を覚まさせなければならない──そう思って必死で妨害して来たのに、あの馬鹿皇子の目は覚めることは無く、あっさりスピカは妃の座に収まった。
 聞けばルティリクス王太子の妹だという理由で、アウストラリス王家の後見が付いたそうだが──本当のところは分からないとシェリアは思っていた。
 特に、それまで秘められていたスピカの息子の外見を知ってから、得体の知れない不快さが胸の内を暴れるようになった。赤毛、茶眼の男児。その色は皇子の色でもスピカの色でもない。
(妹だから赤毛だと言うの? それよりも、王太子の子だと言われた方が随分しっくりくるわ)
 もともと噂のあった二人だからなおのことそう思う。
 王太子とスピカ、二人の関係はアウストラリスとの和議の後すぐに世間に公表された。つまり、二人が兄妹だと分かったのは最近のことだと思う。そうであれば、兄妹と知らずに関係を持っていてもおかしくない。王太子もおそらく──あの魔性の女にまやかされたのだ。
 皇子はスピカを手に入れる為に。王太子は自身の子供を守る為に。そんな裏の取引でもあったのではないか。皇子は国よりも女をとったのではないか。彼のあの惚れ込み様とすんなり進んだ和議を思うと、随分と怪しかった。決して口には出さないが、そう思っているジョイアの貴族はシェリアの一族を含め多い。
 もしそうであれば許されないことだ。女で国を傾けるような、そんな主はジョイアには必要ない。
 シェリアはおそらく国内のどの貴族よりも強くそう思っていた。何と言っても娼婦の娘相手に負けて、何度も振られた。というより、全く相手にされなかった。山よりも高いプライドがずたずただったのだ。
 父親は今回の縁談だけは逃してくれるなとシェリアに頼み込んだ。
 確かにシリウス皇子が側室を娶らないつもりならば、この縁談を逃すと次は無いと言っていいかもしれない。ジョイア国内の若い貴族の男はこぞってミルザ姫の婿に焦点を絞っている。シェリアには見向きもしないのだ。
 シェリアはすでに十八歳だ。ジョイアの貴族は大体十代で結婚するから、ミルザ姫の縁談が纏まる時機に寄っては、もしかしたらシェリアは婚期を逃してしまうかもしれない。行き遅れてしまうと両親は心配していた。
 ガレから来たというエリダヌスも同様で、あちらは十九だから余計に焦躁もひどいだろう。
 しかし、シェリアがこの貧しい国に乗り込むことを決めたのには一つ別の目的があったからだ。
 もちろんアウストラリスの王太子妃の座は必ず頂くつもりだ。ジョイアの愛妾に劣るとも、家族の腹の足しくらいにはなるはずだ。その上で成し遂げるつもりなのは──皇子とスピカへの復讐だった。
 まずはさりげなく王太子に近づき、スピカの関係を探って──裏取引の証拠を見つける。そうしてシェリアを馬鹿にした皇子とスピカを窮地に落としてやるのだ。それでジョイアがどう傾こうが知ったことではない。シェリアはその時はアウストラリスの人間だ。
「見てなさい。化けの皮を剥いでやるわ」
 そう言ってふふふと笑うと、マルガリタが「どうかご自重願います」と涙目で懇願した。

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2011.1.9