22.滲み始めた熱 02

「え? ──里帰りですって?」
「はい」
 久々に聞くシャウラの高い声にメイサは頷いた。
 あれから三日が経った。が、以降ヨルゴスがあんな風にメイサに近づくことは無く、普段通りの態度が続いた。
 そして何となく警戒して僅かに距離を取っていたメイサが、あれは新たな手口でからかわれたのかもしれないと思い始めた頃だった。ヨルゴスは突然のように告げたのだ。
『久々にカルダーノの家に帰ろうかと思ってるんだけど、君も付いて来てくれる?』
と。
 そう言われて、メイサは当初の彼女の役割を思い出した。そうだ。そもそも、彼陣営を探ることを目的としてメイサは送り込まれたのだ。あまりにヨルゴスが趣味にばかり没頭していて政治に関わらないので忘れかけていたけれど。
 今回の里帰り、カルダーノの動きを知るには絶好の機会だった。
「突然どうしてそんなことに?」
「ここは落ち着かないからと言われていました」
 メイサは不思議に思いながら言う。今までと何が違うというのかメイサには分からないが、なんだか急にヨルゴスが窓の外をしきりに気にするようになった。外には何も無いはずなのに。特に夜はそれがひどく、集中出来ないからと、ここ三日、メイサは随分早い時間に退出していた。
「ひと月で随分気に入ってもらったのね。まあ、予想はしてたのだけど」
 褒めてくれるかと思ったシャウラは、しかし少し渋い顔をしていた。
「この機会にあちらの陣営の動きをしっかり探って来ようと思います」
「それは……有り難いのだけれど、あまり無理はしないで。ルイザは連れて行ってもいいのよね?」
「ええ、一人ではさすがに大変ですし、殿下にお願いしたのですが、快諾して下さいました」
「それなら……いいのだけれど」
「南部で買い占められている〈ワジ〉についてですが、必ず情報をつかんで参ります!」
 メイサは思わず拳を握りしめる。カルダーノで育っている不穏な芽は若いうちに摘んでおかねば。それがルティとヨルゴス二人を──ひいては国を守ることに繋がるのだ。
 今のメイサはルティだけ守れば良いなどとは思えなかった。
 ヨルゴス本人が関わっていなくとも、家が企てた謀反は当然彼が責を負う。大好きな上司とルティがそんな風に争って欲しくなかった。ヨルゴスの周りで何かが動いているのならば──見極めて教えてあげたかった。そして大事になる前に止めてもらうのだ。彼にはいつまでも今のように好きな研究をのんびりと続けてもらいたかった。
 人には向き不向きがある。メイサの目から見て、ヨルゴスは根っからの学者であり、為政者向きではない。政治には頭脳だけではなく、やはり行動力と積極性が必須だと思った。──メイサの自慢の〈ルティリクス王太子〉のように。未だ彼ほどに王者に相応しい男をメイサは知らないのだ。
「私に任せて下さい。頑張ります!」
 シャウラは目を丸くしてメイサを見つめている。その視線が何となくこそばゆく、メイサは妙に張り切りすぎているのかもしれないと気付き頬を染める。
 でも張り切らずにいられようか。ようやく一人前に仕事をこなせるかもしれないのだから。そして成功すれば今度こそ〈役に立つ〉と認めてもらえる。それほどに大きな仕事だった。おそらく二度は無いチャンスだ。
「ねえ……あまり無理はしないでね? 無理をしてあなたに何かあったら──」
「大丈夫です。これでもシトゥラの娘ですもの。逆に追求を受けるようなことがあれば、その場で命を絶ちますから」
 さすがに間者として最低限のことくらいはわきまえている。メイサはシャウラの杞憂をそっと笑うけれど、そのシャウラは血相を変えていた。
「何考えてるの! ──だめよ、それは絶対に! だれもあなたにそういうことを求めては居ないのだから」
「いえ、でも私、せめて足手まといにはなりたくないのです。大丈夫です。安心して下さい。万が一のことがあっても、ルティにもシトゥラにも絶対迷惑はおかけしませんから」
「あああぁ、もう」
 メイサの熱弁にシャウラはなぜか突然頭を抱えてしまった。
「もういいわ。あなたに言ってもしょうがないから、ルイザにきつく言っておくわ。……あ──、そう、そうだわ! あなた、ヨルゴスとまだ寝てないわよね!?」
「え、ええ」
 くわっと目を見開き睨みつけるシャウラの剣幕にメイサの背筋が伸びた。先日間近で見たヨルゴスの目を思い出してメイサが言葉を詰まらせている間に、シャウラは安心した様子で言葉を重ねた。
「ああ、本当に男色で助かったわ。命の心配だけじゃなくて、そっちの心配までしなければならないと思うと、もうとても神経が持たない」
「あ、あの……」
「何?」
 なんだか言いにくい。すごく言いにくいと思いつつ、言わねばとメイサは口を開こうとした。彼は女よりも男が好きと言っていたけれど……実のところはよく分からないと。先日のあの件で、確信をなくしてしまったことを。
 しかしあの接近をどう捉えていいか。メイサは未だ全く整理出来ていなかった。
(まさか迫っていた? ヨルゴス殿下がに? でも……勘違いに決まっているし、もしシャウラ様にそうやって笑われたら立ち直れないかも……)
 ヨルゴスはメイサが〈理由〉を忘れていると言った。メイサはヨルゴスの言葉を反芻して、彼が「シリウス皇子を好きな理由」を思い出したけれど、それは皇子が絶世の美少年だからだ。となるといまいちよく分からない。メイサはあれほどの美貌を持ち合わせていない。
(でも、でも、確か、殿下は私のことを美しいって言われて……)
 メイサは顔を赤らめ慌てて首を振る。そんなことがあるわけが無い。もしそうならば、メイサが今までこれほど男に縁がないわけが無いではないか。あの皇子のように居るだけで周りがざわつくようなことも無いし、ましてや二人の男に奪われ合うスピカみたいな目にも遭ったことは無い。つまり、あれは、──世辞だ。世辞に決まっている。
 メイサも昔は多少自信があったのだ。それはそうだ。シトゥラというあの狭い世界の中では美人の部類で、使用人たちにもてはやされていたのだから。だけど、ある日外からやって来たルティが恋する少女を知った瞬間……メイサの自信は地に落ちていた。そしてそれは回復することを知らない。外の世界は広い。上には上が居る。あの美しいスピカの上に皇子が居るように。
 自分が美しいかもしれないなどと自惚れたことを考えていることをシャウラに知られたくない。このスピカと同じくらいに美しい女性には絶対に。
(そうよ、美しい女性というのは、こういう方のことを言うの)
「なんでも……ありません」
 シャウラの身の内から滲み出るような輝きに目を細めながら、メイサは俯いた。
「でもヨルゴスの母親だけには注意しておかないとね。息子の性癖も知らずに嫁探しなんて……気の毒だわね、本当に。同情するけれど、こちらも人のこと言えないわね……」
 シャウラは扇を開くと心底疲れたと言った様子で顔を扇いだ。
「出発は明日? じゃあ、忙しいわね。すぐにルイザを呼んでちょうだい。あ、そうだわ、ルティにも耳に入れておかないといけないわ。さあ、どんな手を打って来るかしら?」
 一方的に捲し立てたかと思うと、最後にくすくす笑ってシャウラは立ち上がる。
「見舞いのついでに行ってくるわね」
「ルティはまだ悪いのでしょうか?」
 見舞い──その言葉にメイサは動揺した。
 薬は飲まなかったのだろうか? 会議が再開されたから安心していたのだけれど、ルティだけまだ休んでいるのかもしれない。熱は下がったのだろうか。──あれ以降ヨルゴスはルティの様子を教えてくれなくなってしまっていて、詳細を知る手段をメイサは持たなかった。もちろん見舞いに行く権利も時間も無い。
「心配? あなたも行く?」
 シャウラはいたずらっぽく微笑み、メイサは誘われて思わず頷こうとしたけれど、荷造りの事を思い出して留まった。ヨルゴスは大量の荷──主に実験器具を明日までに纏めておくことと、メイサに押し付けたのだ。ひっそり出かけようとしたら『さぼっちゃだめだよー』と柔らかい口調ではあったけれどしっかり咎められた。こうして報告する時間もルイザに誤摩化してもらってようやく作ったことを思い出す。
 出発前にルティの顔を見て行きたいけれど、とてもそんな時間までは作れないだろう。
「いえ、あの、出発の準備がありますので」
「そう、残念ね。あなたが行けば喜ぶでしょうに」
「いいえ、そんなことは無いと思います」
 メイサがばらまかれた薬を思い出して顔をしかめると、シャウラは肩をすくめて、そのままいそいそと支度を始めてしまった。

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2011.1.26