22.滲み始めた熱 03

 シャウラは一人、息子の部屋を訪ねる。息子のルティリクスは風邪をこじらせて寝込んだままだった。近従の話によると、高熱があるというのに夜中──極寒の夜中だ──外に出るという暴挙に出たそうだ。そしてなぜか足首を捻挫しているそうだった。幸い軽傷で、すぐに歩けるようになるとは言われているが、さすがに医師から外出禁止令が出され、その知らせはシャウラまで届いた。
 どうしてそんなことになったのか追求したけれど、近従は珍しく口をつぐんだままだった。言えば殺されると訴えた。どんな恥ずかしいことをやらかしたのか……何となく想像がつくのでさすがにシャウラも黙っている。
「一体何をやっているの。怪我ですって?」
 無様な姿に呆れてシャウラは息子を見つめた。彼は熱でへたばっているのか、ふて腐れているのか、薄布の向こう、こちらに背を向けたままだ。
「ヨルゴスがメイサをカルダーノへ連れて行くそうよ。もしかしたら両親に結婚の許しを得るつもりなのかもしれないわね?」
 ヨルゴスの事情を知るシャウラは余裕を持ってふふんと笑いながら息子をけしかける。跳ねるような反応を期待した──が、
「……そうか」
 小さな吐息とともに返って来たのは意外に穏やかな声だった。怪訝に思って、シャウラは薄布を引き、寝台を覗き込んだ。が、やはり彼は向こうを向いたままこちらを見ようともしない。
「心配なら、あなたも視察に行って来たら?」
「忙しいから無理だ。知っているだろう?」
「ああ、北部の〈ワジ〉の土を持ち帰ってるとか。どこもかしこもワジで一体何があるって言うのかしら」
「調査中だ」
 素っ気ない返事にシャウラは肩をすくめた。
「忙しいのに体を壊してるのは愚かとしかいいようが無いわね。手が足りないのでしょう──そうね、私も知りたいことがあるから一度ムフリッドに戻ろうかと思っているのよ。私が無理なら、誰か人をやるわ。ついでに視察をして来てあげてもいい」
 そう手を差し伸べると、
「母上が? ──何を知りたい?」
ルティは意外そうな声を上げ、ようやくこちらを見た。確かにシャウラが彼の仕事を邪魔するのではなく手伝うと言うのははじめてかもしれない。
「例のメイサの相手よ。──知りたいでしょう?」
「…………」
「ヨルゴスの所に嫁ぐにしても、過去を詮索されると問題が出るし。ああ、あなたとのことは何も言っていないけれど、知ったら気にするタイプかしら? そんな小さい器でもないように見えるけれど」
 メイサが相変わらず口をつぐんだままの、一夜の相手。シャウラはシトゥラの使用人に話を聞いて、突き詰めるつもりで居たのだ。もちろん見つけ次第口を封じるつもりで。
 もちろんルティの為であったが、あえてヨルゴスとのことを含ませると、あからさまに空気に不穏なものが混じった。
 少し癖のある赤い髪の隙間から、熱っぽい茶色の瞳がシャウラを鋭く睨んでいる。
「俺たちのことは絶対誰にも言うなよ」
「どうして? いずれ知れるわ。メイサには口止めしていない」
「アイツは言わない。言えるわけが無い」
「どうして?」
 結婚ということになれば、過去の男のことは聞かれるだろう。それまではわざわざ言う必要は無いが、問われれば正直に言えばいいと思う。アステリオン等他の王子ではなく、王位を継承する王太子の手つきならばそう問題とはならないのだから。相手も、ルティの愛妾ではないという表向きの話を本当に信じているわけでもあるまい。
 まあ、その事実でメイサの縁談が壊れれば、それはそれでいいとも思っていた。それでメイサがいき遅れても構わない。最終的にはルティの元へやって来るのだから──シャウラが立てたのはあくまでそういう計画でしかなかった。同じく、散々メイサの恋路を邪魔して来た息子はそうやってメイサの逃げ道を塞いで、自分の所へ導こうとしているのではないかとシャウラは共謀者の顔で微笑む。
「…………」
 しかしルティは再びこちらに背を向けた。大きな背中は黙りこくる。シャウラは反応を返さない息子から目を離すと、ふと窓ガラスを見た。そこには痛みを必死で耐える男の顔があった。小さくため息をつく。
「あなたがそういう顔をすると──メイサが危険よ?」
 ルティはこちらを振り向いた。
「そういう顔? 危険?」
「気が付いていないの? もう認めなさいよ、母親の前でくらいは。そうでないとうまくいくものもうまくいかない。ああ、そこの──」
「セ、セバスティアンです!」
「そうそう、セバスチャン」
「せ、セバスティアン・・・・でございます!」
「あなたの名はどうでもいいわ」ぴしゃりと言うと近従は悲しそうに黙る。「その膝掛け──メイサが持って来たのでしょう?」
 セバスティアンは気まずそうにルティの顔色を伺う。そして肘掛け椅子にそっと広げられている黒い膝掛けを見つめた。
「どう見ても手縫いだし、その星の配置はムフリッドのものだわ──綺麗ね、メイサがずっと見ていた星空は」
 北部でしか見えない星座がそこには描いてある。冬のムフリッドの夜空を華やかに彩る、美しい星々。過去の英雄を象り、その名の付いた星たち。メイサの名も、ありきたりではあるものの、親の願い──光輝くようにという願いを込めてその星たちの古き名から取られているのだ。
「きっとあの狭い中庭から見上げた星空ね。彼女の見ることのできた、唯一の美しいものだわ。あなたは……昔からずっと彼女にもっと広い星空を見せてあげたかったのでしょう」
「なにを言ってる」
「彼女の自由の為に、お母様を納得させる為に──十年かけてスピカという代わりを見つけてきた。そこまでしたのは、あなたがメイサを」
「──それ以上言うな!」
 ルティは激高して膝掛けをシャウラに投げつける。黒い星空が床に広がり、シャウラとルティを隔たらせる。「出て行け! 俺はあいつのことなんか何とも思っていない!」
 やはり予想通りにへそを曲げてしまった。シャウラは僅かに急いでしまったことを悔やんだが、この際言いたいことははっきり言っておこうと思った。
「意地張っても何もいいことは無いのに」
「俺は意地なんか張っていない」
「あの子をヨルゴスに取られちゃうわよ?」
「取られる? ──選ぶのはアイツだ。俺は関係ない」
「関係なくないでしょう。なんで素直に欲しいって言えないの」
「欲しくないからだ」
「嘘つきね。じゃあなんであんなに彼女の周りの男を気にしたの? あんな回りくどい方法で妨害して。あなたは王太子なのよ? 欲しいと言うだけで簡単に手に入るのに」
 ルティは「どいつもこいつも──」と鬱陶しげに首を振り、前髪を揺らす。
「そんな風に手に入れてどうする? せっかく家のしがらみから解き放たれて自由を手にしたのに。今度は俺がアイツをババアみたいに縛るのか?」
 シャウラは今度こそ本気で呆れた。まず、影であれだけ干渉しておいて、今更縛る縛らないと言っている所がおかしい。色んな意味で自覚が無いのが手に負えない。
「メイサはあなたを大事に思っているわよ」
「言われなくても分かっている」
「分かっているなら何で素直にならないの」
「母上は誤解している。アイツは俺を〈家族〉だとしか思っていない。俺もそうだ。守ってやりたいとずっと思ってたし、これからもそうだ──……それは否定しない」
「家族ってあなた……」
「もういいだろう? 俺は忙しい。早く体を治さないと。明日にはムフリッドに発ちたいんだ」
 そう言って、ルティはシャウラから顔を背けた。
「ムフリッドって……あなた、まるで逆方向じゃない」
 息子はいつも通りに、メイサに背を向けてまったく別方向へ走って行ってしまう。あまりの手応えの無さにシャウラは愕然とした。メイサの貞操の危機を知れば確実に火が着くと──油断していた。以前、メイサが仕事をしようとした時は相当な妨害を行ったというのに。今度はどうして。
 これは最後の切り札のはずだった。相手としてはアルゴルを予定していたのだけれど、彼が表立って動かない今、ヨルゴスでも構わないと思っていた。
 しかし──切り札を使っても動かないならば、シャウラはこれ以上どんな手を打っていいか分からない。しかもこのままだとメイサはヨルゴスに本当に嫁いでもおかしくない。もともと、名目上は彼の女官であるとも妃候補として送り込んでいるのだ。彼が我が儘を言って拒めども、母親は乗り気だし、彼自身もいつかは形だけでも妃を娶る必要があることを知っているだろう。それがメイサでないという確証などどこにも無い。正式に娶られてしまえば遅い。メイサは美しいが〈無能〉だ。スピカの時とでは事情は違う。それはルティもよく分かっているだろうに。
「本当に……いいの? 手に入れないなら──あなたが今までして来たことは一体なんなの」
 これは最初で最後の確認かもしれない。そう思いながら、シャウラは恐る恐る尋ねた。
 目の前の見知ったはずの息子は、答えずに黙り込む。シャウラの知らない大人びた眼差しは窓の外の木を見つめていた。
「アイツの生き方を選ぶのは──アイツだ。俺は、アイツが泣かなければそれでいいんだ」
 彼女の生き方を選ぶのは彼女自身だ──息子はそう頑に繰り返した。

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2011.1.29