24.その胸の内に棲む名は 02

 食後に飲んだのは随分まずい酒だった。口の中に苦いものが残って、なかなか取れない。それを感じ続ける事で、次第に気分が悪くなって来た。とりあえずうがいをしたいと思いながら、シャウラは目の前の女を睨んでいた。
 先ほど、穏やかな表情でメイサは『ヨルゴス王子との縁談を進めさせていただきたいと思っております』とシャウラに告げた。知っていたけれど、はっきりと覚悟を見せられるとかなり動揺してしまった。
 ルティは間に合わなかったかもしれない。彼が本当に欲しいものを得る事無く、ラサラスのように彷徨い続ける様が目に浮かぶようで、シャウラは胸を何か鈍い刃で突かれるような痛みを感じていた。
「……本当にそれでいいの、あなたは」
 シャウラはメイサに向かって問うた。
 メイサは頷くが、シャウラには不可解で堪らなかった。彼女はどちらかというと物事を白黒はっきりさせるたちなのに、なぜかルティへの想いは不完全燃焼のままに終わらせようとする。──そうだ。らしくないのだ。シャウラの知っているメイサならば、すると思える事をしていないのだ。
「あの子に想いを告げないままに、嫁いでしまうの? それで後悔は無いの?」
 最後の質問かもしれないと思いつつ、しつこく問う。すると、メイサは「皆そのように言われるのですね」と苦しそうにしたあと、仕方なさそうに大きく息をつくと、驚くような事を漏らした。
「実は既に告げました。そして、玉砕したのです。──だから、いいのです」
「あなた──気持ちを伝えたことがあるの!?」
「……」
 メイサは微かに微笑む。後ろでルイザが驚愕した顔をしていた。おそらくシャウラも同じ顔をしていたと思う。
「いつ? どこで? あの子はなんて?」
「ずっと前です」
 メイサはそれだけ答えると、恥じいるように俯いた。
「『代わりじゃ意味がない』とはっきり言われました」
「──か、代わりって?」
 答えを聞く前に、嫌な予感がシャウラの胸を押しつぶす。
「もちろん、スピカの代わりです」
 メイサは今更何を言うのだろうと、不思議そうな顔をしてシャウラを見た。シャウラは同じ顔をしてメイサを見てやりたいと思ったが、そんな余裕は今の彼女には無かった。
「馬鹿ですよね。確かに、私には、彼女の代わりは務まりませんもの。でも、最初はそれでもいいと思ったのです。我慢出来るとも思ったのです」
 そう言って、メイサはシャウラを申し訳なさそうに見る。「申し訳ありません。でも、私には、シャウラ様のような強さはありませんでした。力不足というのはそういう意味なのです。私はルティが大事です。何でもやってあげたいと思っていますが、どうしてもスピカを手に入れてあげる事は出来ませんし、スピカの代わりになるのも辛すぎて──それは、無理で」
 苦しそうな表情に、僅かだけれど嫉妬の色が混じり、シャウラはぎょっと目を剥いた。
「──ええええ!?」
 今、メイサは恐ろしい発言をした。シャウラは、メイサの言葉に触発されて若かりし頃のラサラスと自分を思い浮かべかけたが、すぐにそれを胸の内に押し込む。今は、感傷に浸っている場合ではない!
「ちょ、ちょっと、メイサ! もしかして、あなた、ルティと寝たの!?」
 経験者であるシャウラにはピンと来てしまった。代わりが辛い、それは、それを務めたことがあるからこその言葉だと。
 しかも、今『スピカの代わり』と言ったということは、スピカが去ってからの事。つまり最近のこととなる。もしかして、もしかすると、彼女が例の相手の男の事で口をつぐんでいる理由は。
「…………」
 メイサは、肯定も否定もせずに、困ったように微笑んだ。その笑みを見てシャウラは確信を得てしまう。
 これは、幼少時のルティが何かやらかしたときに、彼女がこっそり後始末をつけたときのごまかし笑いだ。
 例えて言うと、ルティがおねしょをしたとか、そういった最大限に恥ずかしいことを皆から隠してあげたときの笑みにとても似ていた。
「まさか、まさかだけど、スピカの代わりにあなたを抱いたという事なの?」
「……ルティはお酒のせいで覚えていないのです。だから──どうかこのことは内緒にしてあげておいて下さいね。彼にとっては恥になりますし、私もそのことで変に気を使われるのは嫌なのです」
 メイサは人差し指を口の前に当てて懇願するようにシャウラを見た。彼女はスピカの代わり、そう思い込んでいる。そして、叶わぬ恋を追い続ける彼に同情して、その醜態ともいえる所行を心の中に一人で仕舞い込んでいるのだ。
 それならば──メイサがその行き着く所の無い想いから抜け出す為にヨルゴスを選んでも、仕方ない。むしろシャウラはそう勧めたい気持ちになっていた。
 シャウラにはヨルゴスのような男はいなかったが、ラナの代わりは辛く苦しかった。十分に気持ちは分かった。いや、メイサの気持ちはシャウラにしか理解出来ないかもしれない。しかも、想い続けるには、相手が、理由のあったラサラスと比べてもあまりにも不甲斐ない! 想いを遂げられないからと妹の代わりに他の女を抱くなど──正直、そんなクズは見放されても仕方が無いくらいだった。事実がどうあれ、そう思われている事が、もう駄目だ。こんな風にまぬけな振られ方をしてもまったく文句が言えない。

「────あ、あの馬鹿息子────!!!!」

 沸き上がる血潮に押されるように立ち上がって叫ぶと、直後世界が回った。食後の酒が急に回ったのか、頭に血が上って、立ちくらみを起こしたようだった。かと思ったら、そのまま世界が本当に反転した。
「あ、ら?」
 大きな音に目を開けると、自分が倒れている事に気が付く。体を打ち付けたらしいが、感覚が戻らず、聴覚だけが妙に研ぎすまされているような感じだった。
 健康だけが取り柄だと思っていたシャウラは、少し前にムフリッドで味わったその感覚に動揺した。またこんな風に心労で倒れるなんて──歳かもしれない。
 メイサが驚いて駆けつけると、シャウラの手を取った。
「お医者様を!」
「……この、ところ、忙しかったから、疲れが、たまってるだけよ。大げさにしない、で。それより、」
 いまいちろれつが回らず、シャウラは混乱する。意識がふわりと遠のくのが分かり焦った。今すぐに誤解を解かねばならないのに。そして、ヨルゴスとの結婚を阻止しなければならないのに──!
「お話はあとです!」
 ぴしゃりと言われて、シャウラは長椅子に押し付けられる。
「ルイザ! ラサラス陛下にご連絡を差し上げて!」
 シャウラは動かない口を呪いながら、メイサに睨まれているルイザを縋るように見つめた。彼女が必死で何度も頷くのを視界の端に見つけたのを最後、シャウラの意識は途絶えた。

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2011.2.26