25.女たちの行方 01

 メイサは、国王を呼びに行ったままなかなか戻らないルイザを心配して、一度シャウラの部屋を出た。
 部屋付きの女官には医師を呼びに行かせていているので、メイサがいなければシャウラが一人になってしまうが、何か胸騒ぎがして堪らない。いつも気丈にしているシャウラが弱っている事がメイサの不安を煽っているのは間違いなかった。
 部屋を出た所で、ちょうど女官が「ヨルゴス殿下のご帰還です。すぐに塔まで戻るように」とメイサに声をかける。驚いたメイサがルイザはと問うと、女官は先にヨルゴスの部屋に戻ったのではないかと答えた。
「本当に殿下が戻られたの?」
 そう問うと、彼女は「そのようです」と頷いた。
 医師を呼びに行ったシャウラ付きの女官が戻るのを見て、あとを任せると、メイサも急いで部屋に戻ることにした。ヨルゴスが戻ったのならば、傍付きの彼女が部屋を明けるわけにはいかない。
(でも、殿下らしくないわよね。先駆けの知らせも無いなんて)
 数日前にもらった手紙にはこんなに急に帰るなどとは書かれていなかった。なにか急務が出来たのかもしれない。それが、彼の危機状況を好転させるものであればいいけれど。
 メイサは王の塔の下層部を突っ切って、放射状に道が広がる広場へと出た。シャウラの居住である最南端の塔は王城中心にある王の塔のすぐ傍にあるが、この広場を通らないと辿り着けないようになっている。王子達の塔は王の塔を中心に半円形を描くように配置されていた。年の順に一番南から塔が与えられ、一番北側が年若いルティ。その東側にヨルゴスの塔がある。各塔への分岐となるのがこの広場だ。
 女官や近衛隊も多く行き来し、王城内で最も活気がある場所だった。しかし、各王子の居住へと続く道に移るとあっという間に人の気配がなくなる。特に、塔の主人が不在である場合はそれが顕著だった。
(ああ、お一人で不自由されてたら申し訳ないわ)
 そんな風に女官としての責任感に焦るものの――状況次第では、プロポーズの返事もしなければいけないだろう。覚悟は既にすんでいるものの、急激に胸が苦しくなるのが分かった。
 先ほどまで暖かく照っていた日差しが雲に遮られて陰る。とたん、王子の居住区域へと続く廊下の中はすべて薄暗く感じた。さらに、青や緑──寒色のステンドグラスから差し込む光で、壁や床の白い石は青みを増していた。その寒々しさに身震いすると、メイサは一人ヨルゴスの塔への廊下を急いだ。

 *

 シャウラの塔は、王宮の中心部にあるラサラス陛下の居住に隣接していたけれども、どちらの部屋も塔の高い所に位置していたため、水平距離の割に辿り着くのに多少時間がかかった。ルイザの身分では陛下に直接まみえる事は出来ないので、部屋の入り口にいた衛兵に伝言を頼んだ。そして「今すぐ行く」という陛下の返事を待ってすぐに折り返した。
 地味な仕官服の裾を蹴るようにして急ぐ。あの時のシャウラの目がルイザを焦らせていた。彼女が伝えたかった事はルイザにも痛いほどに分かった。「メイサの誤解を解け」、それがシャウラの命令に決まっているが、ルイザは言われずとも誤解を解く気だった。
 カーラが作った二本の鎖はいつの間にか切れていた。一本はメイサがシトゥラを飛び出した時に切れ、もう一本はルティリクスがシトゥラの男の役割を果たせなくなった時に切れた。彼が閨に女を呼ばなくなったという噂を聞いて、ルイザはとうとう自覚されたのだろうと思っていた。彼は自分の胸の内に棲む女を見いだし、もうその女しか欲しがらない。ならば、あの二人が別の方向を見ている理由などどこにも無いのだ。
 堰は切られ、川は流れ出した。ルイザだっていつまでも澱みに留まっているわけにはいかない。いつか来るその時をルイザは恐れながらもずっと待っていたのだから。きっと彼に焦がれていたシトゥラの娘はみなそうだろう。
 誰も抜け出せずにいたあのシトゥラの檻を、飛び出して羽ばたいたメイサをルイザは誇りに思う。その上彼女は、ルイザたちにも飛び方を教えてくれようとしている。そういうメイサだからこそ、彼女の幸せをルイザは心から望んでいた。


 ルイザが、シャウラの塔の入り口に辿り着いたとき、赤い髪の女性が一人、王の塔の向こう側──王子達の塔の方へと歩いて行っているのが見えた。小さくて見分け辛いが、あれほどに輝かしい赤髪の色を持つ女性は今王宮に二人しか居ないはずで──ルイザの髪も赤と言えば赤だが、どちらかと言うと茶に近い──一人は病床に倒れている。つまりは彼女はメイサでしか有り得ない。影はすぐに広場に植えられた木の影に隠れてしまい、ルイザは思わずそちらへ駆け出した。
 ルイザが王の塔から王子の塔への分岐路である広場まで辿り着いたときには、メイサの姿は既に消えていた。ぐるりと一周見回しても、赤という色を見つけられなかった。
(どこに行かれたの?)
 メイサは走っていたわけでもないのに。まさか見失うとは思わなかった。
「──メイサ様ー! どうかお待ちください。お一人では危のうございます!」
 そう大きな声を出すけれど、声は塔の隙間で反射して空しく響いた。行き交う兵や使用人達がルイザを振り返る。構わず再び叫ぶけれど、メイサからの返事は無い。しかし、あれがメイサだとすると、向かう先はヨルゴスの塔が一番可能性が高いと思える。そう予想を付けて、追いかけようとしたところ、なぜか後ろから声がかかった。
「ねえ、あなた」
 振り向いて、ルイザは目を細める。
「どこかで見かけたような気がするのだけれど」
 その穏やかな口調で、鋭い問いを投げかける女にルイザは見覚えがあった。長い銀髪の娘──シェリア。ジョイアの皇太子に振られた女だ。
「なにか、勘違いをなさっているのでは……」
 ルイザは誤摩化そうとするけれど、相手はじわりと距離を詰める。まさか自分の事を覚えられているなど思いもしない。エリダヌス──ミュラの影に隠れて、髪を栗色に染めて、濃い化粧までして、本来の自分とは全く違う印象を纏っていたはずなのだ。
「うーん」
 シェリアは諦めきれない様子で顎に手を当てて、考え込む。付き合う暇も気力も無いルイザはそろそろと後ずさりをして、その場を去ろうとした。
「あの、急いでおりますので」
 しかし、シェリアはルイザを解放する気は無いらしい。ルイザの服の袖を掴んで彼女を引き止める。そういえばこの女はミュラと対等以上に渡り合ったのだった。外見からは考えられないあの鋭さは健在のようだ。灰色の目が細められるのを見て、ルイザは背が泡立つのを感じた。
 妃候補と偽って潜入させたミュラとシトゥラの関係は、ジョイアでも内密にされているはずだった。偽の女を潜り込ませた事もだが、それを利用したスピカの誘拐事件自体、公になれば今後の二国間の関係にひびを入れかねない。せっかくの和議が無駄になってしまう。
「やっぱりどこかで見た気がするのよ、どこでだったかしら?」
 シェリアはしつこく問う。
「そんな事はございませぬ。わたくしは、アウストラリスから出た事はございませんし、何か勘違いをされていらっしゃるとしか」
「そうかしら?」
「──あの、メイサ様がどこに行かれたかご存知ありませんか?」
 ルイザは話を誤摩化す為に話題を無理矢理に変えた。シェリアは肩をすくめてヨルゴスの塔の方向を向く。
「さっき、赤い髪の女性がここを通っているのを見かけたけれど、何か急いでいたみたいね? ヨルゴス殿下が戻られたのかしら? ──あら、そういえばメイサって……じゃあ、あなたもシトゥラの者なのかしら?」
 シェリアの言葉に、これ以上探りを入れられるのは危険だと本能が訴える。それにメイサの名を聞く度に胸騒ぎが酷くなる。急がねば。
「申し訳ありません、失礼いたします。──急いでおりますので!」
 シェリアを振り切るようにして、ようやく辿り着いたヨルゴスの塔は静まり返っていた。しんと冷えきった石作りの廊下には、メイサの姿はない。
「こちらの傍付きの女官を見かけませんでしたか?」
 塔の入り口の衛兵に尋ねる。けれど、誰も通りかかっていないとの事だった。そんなわけが無い。メイサは確かに先ほど彼女らしき影を見たのだ。ここでないならば、どこに向かうというのだ。
「ヨルゴス殿下は、お戻りに?」
「いや、まだです」
 ルイザはいい知れぬ不安とともに、念のためにと中をのぞかせてもらう。けれど、部屋の中にも、小屋にも人気は無く、もちろんメイサも見当たらなかった。
 ルイザは恐ろしくなって、城中を駆け回る。まずは女官部屋、それから厨房、浴室に、手洗。万が一と思って主が不在の王太子の塔も訪ねた。しかし、居ない。彼女が行きそうな所を隅々まで覗いたが、見つからない。
 駆けずり回っているうちにいつしか日が暮れていた。ルイザは青い顔でどくどくと音を立てる胸を押さえ込む。
(メイサ様……)
 まさかとは思う。
 だが、ここまで探して居ないとなると、何かに巻き込まれたと考えた方がいいのではないか。あの美しさを知って彼女を狙う狼藉者がいたとしてもまったくおかしくないのだ。となると、急いで人の手を借りるしかない。しかし、単なる女官一人のために捜索を行ってくれるような人間は、今、王宮ここに居ない。いや、居ればさっさと協力を頼んでいたのだ。
 まず頼りにするべき王妃は病床に倒れている。意識が戻り次第、メイサの不在を伝えてもらうことにしたけれど、未だ何の連絡は無い。──そして、ルイザがずっと待っている彼の人はまだムフリッドから戻られない。距離が距離だ。今から馬を飛ばしても連絡がつくのは最低でも四日はかかると思われるし、それから戻ってもまた四日はかかる。まず十日前にカルダーノから送った便りが届いたのかも、届いたとしても、それを読んで彼がどう思われたのかも分からないのだ。もしメイサの婚約の知らせで動かれないのならば、もう打つ手は無い。諦めるしか無いとルイザは思っていた。帰って来られないという事は、駄目だったのかもしれない。
(じゃあ……どうしたら……)
 となると、いくら考えてもルイザが今頼れるのは、一人の男しか居ない。それだけは避けたいと思っているのに、もう頼れるのはルイザがメイサを渡したくないと考えているその男だけだった。
 しかしまずはメイサの身の安全の確保が先だ。カルダーノからならば半日で王宮へ戻れるだろう。ルイザはもう一度ヨルゴスの塔へ戻ると、筆記机を借りてさっと手紙を認めた。念のために、二通。一通は書いている間、祈るような気持ちだった。
「──ヨルゴス殿下に早馬を」
 ルイザは部屋から出ると衛兵を見つめる。そして、一通の書簡を手渡すと、もう一通を胸に抱いて隣の塔へと全速力で走った。

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2011.4.30