25.女たちの行方 03

(捜せって言われてもなあ……)
 セバスティアンは困り果てる。居ないものをどうやって捜せばいいのやら。
 残された手がかりなど本当に少ないのだ。
 しかし、ここで放り出せば、命が無い可能性は否めない。僅かでも役に立つと思われているから、こうしてクビが繋がっているとしか思えない。
 とりあえず聞き込みを続けようと、彼はよろよろと立ち上がると主人の後に続く。彼は鬱陶しそうに振り返ると、セバスティアンを突き放す。
「何をやってる。こっちに何がある。手分けしないと無駄だろう」
「え、ええと、聞き込みをしようと思いまして! あ、あの、人通りの多いところで、」
「ああ、なるほど」
 主人は吐き捨てるように言うと、二段飛ばしで階段を駆け下りて行く。セバスティアンは足の長さを考えて、一段ずつ、慎重に駆け下りた。
 そうしながらテオドラの特徴を思い浮かべた。
(茶色の瞳に、茶色の髪……全体的にふっくらした色気のある…………ああ、それから、〈香り〉……)
 あの最後の夜に嗅いだ香りをセバスティアンは思い出す。頭が茹だってしまったのは、あれを嗅いだからだろうか。城をうろついている女官がつけるような甘ったるいだけの香りではなく、どこか爽やかで刺激的な香り。
 妙に上品で、嗅いだ事の無いようなものだった。何から作られているのだろう。花というよりは……そうだ、主人の使っている香に甘さを足したような香りだった。確か、主人の香はミルラという樹液が元になっていた気がする。もちろん南国から輸入した高級品だ。
 似ているから、同じように調合されたものなのかもしれない。
(でも、ただの使用人のテオドラが、どうしてそんな高価そうな香を使っていたんだろう?)
 セバスティアンは腑に落ちない気持ちのまま主人の背中を追った。

 *

(いっそ木を伝って庭から行けば良かったか)
 ルティがそう思った時には遅かった。日が落ちて随分と人通りが少なくなった広場に出ると、整然と植えられた木の影から、さっと近づいて来た人影があった。燭台の光に銀の髪が光る。昼間は細められていたはずの灰の瞳が、今は猫のように見開かれている。待ち構えていたかのようなその周到さに、ルティは辟易した。
「ルティリクス王太子殿下。お帰りなさいませ」
「シェリア殿、こんな遅くにどうされた?」
「お戻りを心待ちにしておりましたため、眠れなかったのでございます。表が騒がしかったので降りて参りました。どうしても、一目お会いしたかったのです」
「育ちの良い娘のする事ではないな。──急いでいる。明日にしてくれ」
 いっそもう、ジョイアに帰れと言いたいくらいだったけれど、辛うじて堪えた。ジョイアの義弟の顔がいくら潰れようと構わないが、表向き斡旋した形になる母に迷惑がかかるのは少々困ったのだ。
 あとで理由を付けて丁重にお帰りいただこう──そんな事を考えながら、冷たく突き放してヨルゴスの塔へと急ぐ。しかしシェリアは簡単には引き下がらなかった。
「待てませんわ。そちらはヨルゴス殿下の塔ですけれど、殿下は不在でございます。なのにルティリクス殿下はどこに・・・急がれていらっしゃるのか。知る権利があると思いますが。──妃候補である、には」
「…………」
 メイサの事に触れられた事に気が付いたルティは、何か知っているのだろうか、それとも首謀者か──そんな風に疑って、僅かに振り返る。すると、にやり、そんな表現が合うような笑みを向けられて一瞬怯む。
(なんだ、この女は)
 彼女の隣では彼女の付き添いであろう年老いた侍女がハラハラとした表情で、服の裾を引っ張り、小声で「も、もう戻られた方が」と必死で懇願している。今にも泣きそう──いや倒れそうだとルティは思った。
「殿下の妃候補としては、現在の候補から選ばれるのであれば納得いたします。しかし、それ以外からとなると話は別でございますわ。──まさか、昔からの想い人・・・・・・・がいらっしゃるわけでもございませんわよね? そうであれば、私が呼ばれる事などありませんもの」
 シェリアはルティの腕に手を掛けながら、熱心に訴える。
 回りくどいやり取りをしている暇はなかった。腕を軽く振って彼女の手を振り払い、足を進めながら、単刀直入に話を進める。
「何が望みだ?」
「こちらへ参った事を後悔しないくらいの、それ相応の地位が」
 当然という顔でシェリアは訴える。欲しいものが手に入るのを当たり前に思っている、ジョイアの人間特有の傲慢さが鼻につく。ルティが昔から嫌いなものだった。
「お出かけになられる前に、考えておく、とおっしゃいましたが、答えを頂きたいですわ」
 どうもこの女には情けは必要ないらしい──そう思って、ルティは特別にの冷めた笑顔をくれてやる事にする。
「お前のような女は嫌いじゃない。としてなら、随分優秀な駒になるだろう」
 こう言えば大部分の女は去る事をルティは知っていたのだが、シェリアはその大部分の中には属さない女だった。
「駒? それで結構ですわよ? 王妃・・の座がいただけるのなら。互いが互いの駒になる──随分刺激的だと思われませんこと?」
 耳を疑った。これは本当に目の前の女が言ったのだろうか。
 隣ではとうとう泡を吹いて侍女らしき女が倒れた。それを見て、発言者がまぎれもなくシェリアだったと知り、今までの彼女を思い浮かべて、妙に納得し、とたん笑い出したい気分になる。状況が状況でなければ笑っていただろう。
(王妃、か)
 王太子妃・・・・ではないところが、女の野心の大きさを表している。
 優しげな外見とあまりにその表情や態度がそぐわない。スピカを見ているようだとしみじみ思う。いや、あの過激な妹の外見との差異は、もちろんこういった陰湿なものではないのだが……とにかく、このシェリアという女は、魂が入れ物を間違った、そんな感じだった。
 大した害もないと思っていたが、これを今相手にするのはルティでも少々苦だ。となると──この女を送った男はもっと苦戦したに違いない。
アイツ・・・──この間の嫌がらせの返礼のつもりか)
 そう思いついたとたん、苛立ちが最高潮に達する。あの黒い目が笑みをたたえ、あの男の顔が輝くところを見るのが、ルティは何より嫌いだった。
 この前ジョイアに行った時に、義弟・・に軽い嫌がらせをして帰って来たが、それが気に食わなかったのだろう。母シャウラに宛てた手紙には、断れなかったとか殊勝な事を書いてあったそうだが、よく考えればそんなわけが無い。腐っても皇太子なのだから。あの馬鹿皇子シリウスの返礼は、いつも遅れてやって来ることをうっかり忘れていた。
 返礼に返礼をしたい気分だったけれど、色んなものをぐっと飲み込む。今は何より時間が惜しい。
 ルティは一度立ち止まり、シェリアに向き直る。
「確かに刺激的かもしれないな。しかし──悪いが、俺は寝首をかかれるのはごめんだ。まだやり残した事は多い」
 昼間神経を張りつめて戦っている分だけ、寝床では寛ぎたい。男なら誰しもそう思うだろう。そしてルティが心底寛げるのはきっとあの腕の中だけ。なんの警戒も無しに子供のように眠れるのは、彼女の隣でだけだ。
 ろくに眠れぬ日々を終わりにしたい。夢も見ないで深く眠った、あの夜を取り戻したい。──馬上で出た答えは結局それだけだった。
 改めてそう思い知ると、もう手に入れずにはいられない気がしていた。
 叔父カイサルにはメイサの気持ちを考えろと言われたけれど、彼女の思考回路は複雑すぎて、いくら考えても分からなかった。どうして気持ちを確かめあったあの夜を、全て無かった事に出来るのか。
(あいつは誰にでもああ言うのか。俺だけが特別ではなくて)
 夜の事はやはり断片的にしか思い出せない。しかし、その数日後に問いつめた時には、彼女は『お仕事よ』と言っていた。
 泥酔したルティの介抱を誰かに頼まれたのかもしれない。あの場所に居た一番上等なシトゥラの娘として──いや、あれほどの女は国中を捜しても居ないと断言出来るが──仕方なしに王太子・・・の相手をしたのかもしれない。可能性の一つとしては、十分あり得るし、しかも自己犠牲の固まりみたいな彼女の性格を考えると、あまりにしっくり来た。
(我慢しなさいとかなんとか言っていたような気がするんだが、我慢していたのはあいつじゃないのか)
 旅の途中、何度も考えては押さえつけた考えが浮かびかけて、頭に血が上りかける。頭を振って、その嫌な想像を追い払う。
 情けをかけられたのであれば──酷く屈辱的だ。偽りの愛の言葉で慰めねばならないほどに、弱さを見せた自分に対しての怒りでおかしくなりそうだった。
 ルティは苛立ちを息と共に吐き出す。
 昔からの癖で、一人で考えているから、思考が悪い方向へと進んでしまうのかもしれない。こればかりは彼女の心の中にしか、答えは無いというのに。
 もう誤解は沢山だ。ルティが信じたいのは彼女の口から放たれた『愛してる』の一言だけ。彼女の口から真実を聞きたいと願った。
 そんな風に、メイサを想い、ヨルゴスの塔をじっと睨みつけるルティに、シェリアはにっこりと笑った。
「寝首をかく事はありませんわ。殿下が王太子であられる限りは」
 思わず感嘆の溜息が出そうになる。大したタマだと思う。
(俺を殺して、そのまま女王にでもなってそうな女だな。男に生まれていれば……と本人も思っていそうだが)
 ルティは付き合ってられないと、身を翻す。めげずに軽やかな足音が追って来るが、面倒は後回しだ。とりあえず、ルティは自分がせねばならない事をするだけだった。
「もう一度申しますが、そちらにはヨルゴス殿下はいらっしゃいません。もしかして──あの女を妃に選ばれるのですか」
「…………」
(あの女呼ばわりか)
 今話を聞くべきか僅かに迷うが、やはり無視をして足を進める。この女は問わずとも自分から勝手にしゃべるのだ。ついて来るのならば、しゃべらせておけばいい。
「後悔されるに決まってますわ。ヨルゴス殿下の〈お下がり〉など。王太子妃に相応しくありません」
 嘲りの混じった言葉に三たび足を止められる。
 内面を見られているのではないかと思うくらいに、ルティの心の柔らかい部分を鋭く抉って来る。こんな風にしつこくて、不快な女ははじめてだった。斬っても斬っても立ち上がる。王太子を怒らせる事も怖くないのか。変な余裕があるところが気に障る。
「お前は何か知っているのか?」
「ええ」
 そう問われるのを待っていたのだろうか。にたりと笑われて、即座に詰め寄る。
「アイツの居場所をか?」
「はぁ? ……アイツ?」
 きょとんとした顔だった。演技なら見事なものだ。
「私が申したいのは、スピカの事でございますが」
「……スピカ?」
 今度はルティの方があっけにとられた。しかし、直後、彼は鼻で笑って、あっさりと身を翻した。
 馬鹿馬鹿しさに盛大にため息をつくと、今度こそ絶対に振り返らないと心に誓って駆け出した。大理石の床が大きな音立てる。さすがについて来れなかったのだろう、あっという間にシェリアの気配が遠ざかる。
「────お待ちください! 私は──スピカの子供に関してお話が──」
 シェリアの叫んだ言葉は、激しい靴音に掻き消され、彼の耳には届かなかった。

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2011.5.10